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林田明大「明治中期に何故陽明学が見直されたか」講演のまとめ

テーマ:「明治中期に何故陽明学が見直されたか」
講師:林田 明大氏
日時:2023年10月15日 13:30~16:00

1. 儒学と日本
儒学は、日本にも中国から伝わり、江戸時代には貴族や武士階級の教養として広く普及しました。
陽明学は、江戸時代に日本に伝わり、中江藤樹や二宮尊徳などの思想家によって大衆化されました。

2. 陽明学とは何か
陽明学は、明の王陽明によって創始された儒学の学派です。
陽明学は、心即理や知行合一などの思想を主張しました。

3. 陽明学の主要な思想
陽明学の主要な思想には、以下のようなものがあります。

  • 心即理:心の中に理が内在している

  • 知行合一:知と行は一体であり、知をすれば必ず行い、行えば必ず知に帰る

  • 致良知:良知を自覚し、発揮すること

4. 陽明学と日本
儒教は中国の官僚や貴族などのエリートが学んだものでしたが、陽明学は大衆化されて広まりました。日本では江戸時代に中江藤樹や二宮尊徳などが陽明学を取り入れました。
「三教一致説」神道・儒教・仏教(中国は儒教・仏教・道教)は、本来一つだとする。
明治時代になると、西微山や白山照山などの教育者が陽明学を教えました。また、岡倉天心や新渡戸稲造などの文化人や渋沢栄一などの実業家も陽明学に影響を受けました。
西微山は、岡山藩の儒者で閑谷学校の校長を務めた人物です。彼は陽明学を基礎として教育改革を行い、自由民権運動にも参加しました。
白山照山は、福沢諭吉の師匠として知られる人物です。彼は陽明学を日本に紹介し、自由主義的な思想を広めました。
新渡戸稲造は、キリスト教フレンド派(クエーカー教徒)という平和主義的な宗派に属する人物です。彼は「武士道」という著書で日本的な精神を西洋に紹介しました。彼は陽明学とキリスト教の共通点を見出し、「心の中にほんとうの自分がいる」という考え方を持ちました。

5.一元論と二元論
朱子学は二元論で、善悪等対立する要素、文と武が分かれる
陽明学、老荘思想は一元論
辛いこと、逆境の中で強くなる成長していく、逃げない、工夫して努力する。
儒教を中心とした文に携わる者が官僚として支配権力をもち、武は卑しいものとされてきた。 いわゆる「文尊武卑」「崇文軽武」の思想である。つまり、武は革命などの混乱期においては歴史の表舞台に出てくるものの、治まった世においては裏方に回り、常に文が国政をリードしてきたといってよい。
ゲーテ思想、シュタイナー、本当の私がある、高次
一元論、肉体に根ざした欲と天上に根ざした欲
陽明学=キリスト教 地上的と天上的なバランス
良知、中庸の精神 闇の精、光の精 
良知体験、内なる声に従う  内観、浄土真宗
五井昌久は、日本の宗教家で、白光真宏会の開祖です。祈りによる世界平和運動を提唱し、心即理、知行合一、致良知の説を主要な思想とし、陽明学に影響を受けた。

6. まとめ
儒学と陽明学は、中国の思想・文化において重要な役割を果たしてきました。儒学は、仁・義・礼・智・信などの徳性を重んじ、理想的な社会を実現することを目的としています。
陽明学は、心即理や知行合一などの思想を主張し、人間の可能性を追求することを目的としています。

講演の感想
儒学や陽明学について、言葉は知っていたが思想はよくわかっていなかったため、今回の講義は非常に有益でした。特に、陽明学が日本に与えた影響について、具体的な事例を挙げて説明されていた点が印象的でした。
特に、陽明学の「心即理」や「知行合一」の思想は、現代社会においても重要な示唆を与えてくれると感じました。

儒学と陽明学は、日本にも大きな影響を与えてきた思想です。現代社会においても、これらの思想を学ぶことは、私たちの生き方や考え方を豊かにしてくれるでしょう。

今後は、さらに陽明学とギリシャ哲学やゲーテ思想、シュタイナーなどの思想についても学び、より深い視点から人間の存在について考えていきたいと思いました。

※講演では、幕末・維新・明治期の欧米人の悪逆非道ぶりについて、我が国における合計4度の陽明学ブームとかありました。
講演を基に、儒教と陽明学についてまとめてみました。

〇参考文献
林田明大『新装版・真説「陽明学入門」』ワニプラス
林田明大『渋沢栄一と陽明学』ワニブックス

林田明大
林田明大氏著書

 三教一致説とは、中国や日本などの東アジアの思想において、儒教・仏教・道教(日本では神道)の三つの教えが本質的に一致しているという考え方です。三教一致説は、宗教的な寛容性や折衷主義を表現するとともに、政治的な紛争や社会的な調和を目指す思想でもありました。
三教一致説の起源は、中国の隋代にさかのぼります。隋の文帝は、儒教・仏教・道教の三教の代表者を集めて対話させ、三教の共通点や相互補完性を探ろうとしました。唐代になると、李翺や慈恩などの学者が、三教の理論的な統合を試みました。宋代には、朱子学や陽明学などの新儒学が台頭し、三教一致説はさらに発展しました。明代には、王守仁や李贄などの陽明学者が、心即理や知行合一といった思想を主張し、三教一致説を実践的な倫理や政治に応用しました12。
日本では、平安時代から神仏習合という形で仏教と神道が融合していました。江戸時代になると、儒教も広まり、神道・儒教・仏教の三教一致説が主張されるようになりました。曹洞宗や臨済宗などの禅僧や儒者たちは、三教一致説を通じて日本的な精神や文化を探求しました。中江藤樹や二宮尊徳などは陽明学に影響を受けて、三教一致説を農民教育や社会改革に活かしました23。
三教一致説は、東アジアの思想史において重要な役割を果たしたと言えます。三教一致説は、異なる宗教や思想が対立するのではなく、協力してより高い真理や善行を求めることができるという可能性を示したのです。
詳細情報:
1. kotobank.jp2. gakushuin.ac.jp3. ja.wikipedia.org

Bing AI

陽明学は、中国の儒教の学問ですが、その思想には、ギリシャ哲学の影響が指摘されています。
陽明学の「心即理」の思想は、プラトンの「イデア論」と共通する部分があります。プラトンは、現実の世界は、イデアの世界の影にすぎないと主張しました。陽明学も、心の中に理が内在しており、現実の世界は、心の働きによって生み出されたものと考えています。
陽明学の「知行合一」の思想は、アリストテレスの「実践理論」と共通する部分があります。アリストテレスは、理論と実践は一体であり、理論を学ぶことは、実践に役立つと主張しました。陽明学も、知と行は一体であり、知をすれば必ず行い、行えば必ず知に帰ると考えています。
陽明学は、中国の儒教の伝統を継承しながら、ギリシャ哲学の思想を取り入れることで、より実践的な思想として発展しました。
具体的な影響としては、以下のようなものが挙げられます。
• 心即理の思想は、プラトンの「イデア論」の影響を受けていると考えられています。プラトンは、現実の世界は、イデアの世界の影にすぎないと主張しました。陽明学も、心の中に理が内在しており、現実の世界は、心の働きによって生み出されたものと考えています。
• 知行合一の思想は、アリストテレスの「実践理論」の影響を受けていると考えられています。アリストテレスは、理論と実践は一体であり、理論を学ぶことは、実践に役立つと主張しました。陽明学も、知と行は一体であり、知をすれば必ず行い、行えば必ず知に帰ると考えています。
• 致良知の思想は、ソクラテスの「良心」の思想の影響を受けていると考えられています。ソクラテスは、人間には良心があり、良心に従って生きることが大切であると主張しました。陽明学も、良知は天から与えられたもので、それを発揮することが人間の使命であると考えています。
陽明学は、中国の儒教の伝統を継承しながら、ギリシャ哲学の思想を取り入れることで、より実践的な思想として発展しました。その思想は、中国だけでなく、日本や韓国など、東アジア諸国に広く影響を与えました。

Bard

明治時代は、日本が近代化を推し進めた時代であり、その過程において、陽明学は大きな影響を与えました。陽明学は、心即理や知行合一などの思想を主張し、人間の可能性を追求することを目的としています。この思想は、明治時代の日本において、以下の分野で大きな影響を与えました。
政治
明治政府は、陽明学の「知行合一」の思想を基に、官僚の教育を改革しました。官僚は、政治や行政に関する知識を身につけるだけでなく、実践的な能力を養うことが求められるようになりました。
教育
明治政府は、陽明学の「致良知」の思想を基に、国民教育を推進しました。国民は、自分の良知を自覚し、自立した人間として生きることが求められるようになりました。
思想
明治時代には、陽明学を基にしたさまざまな思想が生まれました。たとえば、西微山は、陽明学を基に「修身治国」の思想を唱えました。また、新渡戸稲造は、陽明学を基に「武士道」の精神を説きました。

明治時代の陽明学の影響を受けた日本思想は、現代においてもなお、日本の思想・文化に大きな影響を与え続けています。

具体的な例としては、以下のようなものが挙げられます。
西洋文明の受容
明治政府は、陽明学の「知行合一」の思想に基づいて、積極的に西洋文明を導入しました。これは、西洋文明を学び、日本を近代化するという目的があったからです。
国民教育の推進
明治政府は、陽明学の「致良知」の思想に基づいて、国民教育を推進しました。これは、国民一人ひとりが自立した人間として生きられるようにするという目的があったからです。
武士道の精神
陽明学の「良知」の思想は、武士道の精神と共通する部分があります。そのため、明治時代においては、陽明学の思想が武士道の精神を支えるものとして、広く受け入れられました。

このように、明治時代の陽明学は、日本思想・文化に大きな影響を与えました。その影響は、現代においてもなお、日本の社会や文化のさまざまな場面でみることができます。

Bard

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