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【リヨン留学記】4話:語学学校の仲間たち

 わたしが通っていた語学学校は大学附属のものではなく小さな私営のもので、レストランやスーパーなんかが入っているような街中の建物の2階にあった。とはいえフランスだから建物は石造りで洒落ていて、艶々と飴色に輝く木製のドアを開けるときはいつも胸が弾んだものだ。
 わたしは毎朝9時から午後1時まで授業を取っていて、その間はライティングからリスニングからスピーキングまで、語学を勉強する上で必要な一通りの技能を学んだ。
 生徒はというと、年齢も国籍も実に多種多様だった。
 例えばヨーロッパ圏だとドイツにスイスにスペインにイギリスにスウェーデン、アジア圏だと韓国人に台湾人、それからアメリカ人にコロンビア人の男の子も数人見かけた。
 年代はというと、わたしのような働き盛りの30代はもちろん少なかったけれど、まだ10代や20代前半の学生たちに、仕事で必要になったからと語学を習得しに来た40代、さらにはリタイア後に楽しみとして学びに来た60代から70代の人も多かった。
 その中でもとりわけわたしの印象に残っているのが、ひと組の老夫婦と70代だと思われるアメリカ人の元大学教授だ。 
 ある日同じ教室に小柄で明るい雰囲気のおばあちゃんがいて、席が隣になったのをきっかけに話しをすることになった。国はどこなのか、なぜフランス語を勉強しているのかなんていう世間話をしていたら、彼女が別の教室に彼女の夫がいるということを教えてくれた。なんでも夫婦で語学学校に登録したらしい。これには驚いてしまった。夫婦2人で語学学校に行こうという発想に至る経緯が、わたしには想像できなかったのである。旅行だったらわかるけれどわざわざ異国に夫婦で語学を学びに来るなんて、ステキな老後の過ごし方だなぁととても記憶に残ったのだった。
 そしてアメリカ人の元大学教授。彼はずっとわたしと同じレベルの授業を取っていたからお互いに顔は知っていたけれど、きっかけがつかめずずっと話せないままだった。けれども彼はとても目立つ生徒であった。
 というのも、とにかくすごい量の発言をするのである。
 語学学校の授業は日本のものとは違い、また大学などの講義とも違い、受け身のものがほとんどなかった。「あなたはどう思う?」「Megumiの意見を聞かせて?」「この問題について日本はどう?」と次々に意見を求められるのである。日本式の暗記ばかりの授業に慣れきっていたわたしにとって、これは少々過酷だった。フランス語がわからないという語学の壁以前に、わたしは日本の社会問題に対する知識や意見をあまり持っていなかったのだ。そのためそもそも語る内容がなかったのである。けれども他の生徒たちは、本当によく喋っていた。例え意見がないとしても、どうして意見を持っていないのかをペラペラペラペラと説明していて、そんな生徒たちを前にして思わずわたしは面食らってしまった。これには日本との学習の仕方の違いをまざまざと見せつけられる思いだった。
 そしてそんな発言を求められる授業において、誰よりも前のめりで答えを言っていたのが件の元大学教授の彼だった。
 先生が「これについてはどう思う?」「さっきのビデオでここは何て言っていた?」なんていう誰でも答えて良い質問をしたときには、真っ先に大きな声で答えを言う。その姿はまるで無邪気な子どものように少々騒がしく、けれど伸びやかで、わたしはこんな70代もいるのだなぁと、とてもポジティブなカルチャーショックを受けた。
 さてそんなある日のこと、確か自分の将来の展望について全員がフランス語で発表する授業があり、わたしはみんなの前で現在の職業について説明をした上で、未来について語ったのだった。
 そして次の日、通路を隔てた隣の机から、彼はわたしに話しかけてくれた。
「君はライターなんだよね?何を書いてるの?」
 そんな話をしている最中に、彼が元々サイエンスの教授だったことを知った。そしてなんと今は小説を書くのに興味があるという。だからわたしが一体何を書いているのか気になったらしいのだ。
 目を輝かせて「小説を書きたい」という、はるばるアメリカからフランスに語学を学びにやってきたおじいちゃんを見て、あぁこういう人にとっては人生とは常に遊び場なのだなぁと思った。まるで子どもが遊ぶように興味のあることを次から次に見つけては吸収し、そしてそれはある側面から見たときに「学び」でもあるのである。おそらく科学の教授にも、興味のあることを突き詰めていたら自然となっていた、に違いない。わたしは深く感嘆をし、いつかあなたが書くサイエンスフィクションを読める日を楽しみにしてると、彼に笑顔で告げたのだった。

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