見出し画像

【リヨン留学記】2話目:ローヌ川のシーニャたち

 ホームステイしていた家から語学学校に向かうためには、リヨンを流れる2つの川の内のひとつであるローヌ川を北上し、40分ほど歩かなければならない。そのため最初の数日間はメトロを使って移動をしていた。
 ところが3日目のこと、オディールに明日は歩きで学校に行った方が良いわと言われたのだった。なぜ?と聞くと、理由を説明してくれたが、単語が聞き慣れないものばかりでわからない。ふたりで首を傾げ合い、どう説明しようかと困ったオディールはスマホでとある単語を検索して日本語に変換し、わたしに見せた。画面に映っていたのは「攻撃」という文字で、予想していなかった言葉にわたしは一瞬怯み、思わず眉根を顰めた。ウクライナで起こっている戦争のことであるとか地下鉄サリン事件のようなテロを思い浮かべたが、オディールの雰囲気からするに「絶対やめておいた方が良い」ではなく、「無理しない方がいいわ」くらいのニュアンスに思われた。そのため何か政治的な理由でデモでも起こったか、ストライキだろうと推測した。
 後々フランス語の知識が増えてから想像してみたところ、オディールは「La grève」という単語を検索してわたしに見せたのではないかと思われる。La grèveとは、つまりストライキのことだ。労働者が権利を主張するために仕事を放棄するという行為は、日本人にはあまり馴染みがないかもしれないけれど、フランスでは日常茶飯事だし、当然の権利だからみんな普通のこととして受け止めている。
 さて、そんな事情から歩きで語学学校へと通うこととなったわたしは、朝の8時頃家をでた。ホームステイをしていた家はサロンからローヌ川が見える立地だったので、外に出てすぐにローヌ川沿いの遊歩道に降り、そのまま北上をはじめた。遊歩道はゆったりと道幅がひろく、芝生やトレーニング用の施設も充実している。そのため犬の散歩がてら集まって井戸端会議をするご婦人方や、鉄棒のようなもので筋トレをする人々など、朝から賑わっていた。
 川面をすべって吹いてくる風は新鮮な朝のほんのりとした冷たさを含み、たっぷりとした水をたたえたローヌ川は、まだ眠たげにとろんとした濃紺をしていた。もう8時だというのに、まだ空は薄暗い。

 しばらく歩いてゆくと、水面をスイスイ何かが動いている。
 それは、白鳥たちだった。
 まず、真っ白い白鳥が先頭に立ち、つづいて3羽ほどココアのようなブラウンともグレーとも言い難い鈍い色を羽に混じらせた白鳥が後をついてゆく。おそらく子どもたちだろう。そして最後にまた真っ白い白鳥が1羽付き添っている。夫婦で前後を固めているに違いない。そのあまりのほほ笑ましい姿の虜になってしまったわたしは、この日から白鳥観察をはじめたのだった。
 フランス語の辞書で白鳥を引いてみるとCigneということがわかったが、いまいち発音に自信がなかったので、夕食の席でホームステイ先のヘンリに聞いてみることにした。
 この鳥の名前はなんて言うの?とスマホの写真を見せながら尋ねると、白目がこぼれ落ちそうなほど目を大きく開けてヘンリは「シーニャ」とうれしそうに告げた。「これはシーニャだよ」。
 なんて愛おしい響きなのだろうと噛み締めながらシーニャと呟き、それから「東京にはシーニャがいない」と、精一杯残念そうな顔をつくってヘンリに告げた。ヘンリもオディールも「え?そうなの?」ととても驚いていた。
 さて、この日からはメトロを使うのをやめ、毎日片道40分かけてローヌ川沿いを歩くことにした。シーニャたちに会いたかったのだ。
 調査の結果、ローヌ川沿いに位置するメトロのAmpère駅とHotel de ville駅の間くらいの位置に、シーニャたちが寝床にしていると思われる場所があるとわかった。朝と夕方、そして夜、みんなそこに集まるようだ。では昼間は何をしているのだろう。学校がおわってから近くのパン屋でサンドイッチを購入したわたしは、ランチ片手にまるでメダカを観察したい小学生のようにローヌ川に向かったのだった。
 ハムやチーズがはさまったサンドイッチを齧りながら件のシーニャたちの寝床に行ってみると、そこには半分くらいの数のシーニャしかいない。ではあとの半分はどこに行ってしまったのだろう。興味がわいたわたしが数日間観察をつづけたところ、風が強い日はみんなで一緒にいることが多いが、のどかな陽気のときは1匹かもしくは数羽まとまって悠々と泳ぎ、ローヌ川を南下していることがわかった。そして川辺に座ってランチをしている人の元へゆき、ご飯を分けてもらうのだ。長く細い首をにょろんと伸ばし、手に持っているパンを奪おうとするほど、ローヌ川のシーニャたちは人馴れをしていた。たまに東京でも遊歩道の真ん中で寝転んで日向ぼっこをしているマイペースな野良猫がいるが、白鳥も人の近くで暮らしているとこうも警戒心をなくすものなのかと驚いた。
 とにもかくにも、人が安心して暮らすための都市があり、それに内包されるわけでもなく、平行して雄大な川があり、さらに別の生き物がいて、そしてうまいこと距離を近づけたり、ちょっと離れてみたりして暮らしている。そのあり方はとても居心地の良いものだった。
 自分のことを通学路にあるおもしろい物事に気を取られていつまでも家に帰らない小学生のようだなと思いつつ、わたしは毎日シーニャを眺めて癒されていた。

https://bonparistokyo.com/

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?