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高天原は飛騨。神武以前を読んで

私は、数か月間、饒速日と十種神宝について調べていました。
調べている内に、饒速日や神様と言われている天照大神や八百万の神は何処から来たのか?
本当に空の上、宇宙的な感じで言われるけど本当に居るのか?
神様って本当は実在していたのでは?いくつかの古文書や風土記などを読みすすめていくうちに疑問を抱く様になりました。
もし、実在していたのなら、縄文だよね。。
そんな時に、日本のルーツは飛騨であった。
そして、【飛騨王朝】が存在していた!と言われる本を手にすることに。

それが山本健造著「神武以前」
この本には、古事記、日本書紀に出てくる神様、猿田彦や高皇産霊、大国主、瓊瓊杵尊など、今では神社に祀られている神様が沢山登場してきます。
この山元健造さんは、16歳の頃に父の腰痛を治し、肺炎の小学生を三日間で快癒させる。など、神通力を使って人々を救ってきた経験をお持ちでした。
その神通力という神秘の力を使った事で、理解できるであろうと奥飛騨の口伝を伝える方に信じられ、奥飛騨で伝わる口伝を教えられた。と述べています。
口伝で伝えられた物語は200枚ほどになったそうです。

本日は、この本から日本のルーツ飛騨についてお話をします。

「神武以前」には、鞍ケ根風土記と言われる口伝が語られています。
古事記や日本書紀に書かれる以前の太古の言い伝えが語られているのです。

「鞍ヶ根」とは、今の乗鞍の古名、古代の頃の名前の一つです。
飛騨の口碑では、日本のルーツとなる人々が暮らしていたのは飛騨だと言っています。

山本建造著、「神武以前」によりますと
「高天原は飛騨であり、その中心は丹生川村と宮村などで飛騨一円、かなり広い範囲に古代の政権はあった。」と言います。
飛騨の更に奥の奥に入っていった所に神仙境があります。その更に奥に行った場所に乗鞍岳があります。
北アルプスの南端に位置する乗鞍岳は標高3026メートルの名峰です。
この乗鞍岳の麓に太古から純日本人がいた。

その乗鞍岳辺りに神仙境がありました。
この神仙境に住んでいた人々は、言葉も飛騨の人達とはまた違った独特の言葉を話していました。
この言葉は、山奥から離れた場所の人々、奥飛騨の人々にも理解が出来ない言葉でした。
古代から伝えられた儀式などを日々行いながら過ごしていました。

太古の時代、天の事は【ア】と言い、大地の事を【ハ】(ワ)と言いました。
アにワが届くほどに高い所を淡山(アワヤマ)と言います。
これを今では乗鞍岳と言っています。。
そのアワヤマに、太古の飛騨の人々は太陽が映る池を作りました。
その池に映る太陽の光を眺め、心を鎮め、清らかな心に還る。神事をおこなっていました。
これを【御魂鎮め】と言います。
今でいう瞑想の様なものだと思います。
その神事は何時間も続けていたとの話です。
それも毎日行っていました。
この御魂鎮めは、江戸末期、1859年頃まで続けられていた様です。

日を抱く様に皆が輪を作り座って行じたので【日抱きの御魂鎮め】と言いました。
日抱きは、清らかな心に還る事で、大自然や先祖に感謝の祈りを捧げる事と述べています。

この頃は廃仏棄釈があった年でもあります。

この淡山の麓で御魂鎮めを行ってきた先祖の中に天照大神(ヒルメムチ)の名前も上がっています。
天照大神、ヒルメムチは神通力がとても強かったため、政治の中心となって飛騨を中心とした國を治めていた。と記されています。

このア・ワと言う言葉はホツマツタヱにも出てきます。

ホツマツタヱとは、50年前に国内で発見された漢字が伝わる以前の日本にあった「ホツマ文字」という文字でつづられ、古事記や日本書紀よりも古い書物と言われています。
昭和41年8月、出版社「自由国民社」の編集長などを務め、古代史の研究者でもあった故松本善之助氏が東京・神田の古書店で「ホツマツタヱ」の一部の写本を発見したことが、今につながっています。
故松本善之助氏に師事し、共に研究を行う池田満氏が多くの本を出版しています。

『ツタヱ』は『伝え・言い伝え』であり、『ホツマツタヱ』は、『まことの中のまことの言い伝え(真の中の真の言い伝え)』の意味となります。

このホツマツタヱに、ア・ワと言う言葉が、アワ歌となって出てきます。
このアワ歌は、天地の天である「あ」と、天地の地である「わ」の二文字の間に森羅万象をが成り立つことを意味していると言われています。
このアワ歌は身体の内から言霊として響いて臓器を活性化させて健康になる。松果体を活性させるとも言われています。
アワ歌はイザナギ、イザナミが作ったと言われています。

飛騨の淡山がアワの始まりであるなら、そこで育った神、イザナギと嫁に来たイザナミが、あわ歌を歌うのは先祖を敬い、元気に生きていられる事、無事に元気な子孫を残す事への感謝の祝詞の様なものなのでは無いか?と感じられます。

いかがでしょうか。
これは風土記、口伝であるため、それぞれの土地で語り継がれてきた事です。
しかし、それぞれの地に語り継がれてきた物語は大事にしていきたいと思います。
私は、この古代。と聞くと私達を産んでくれたご先祖様の事だと感じます。

飛騨の口碑はまだまだ続きます。

次回も飛騨の口碑について皆様にお伝えしていこうと思っています。
よろしくお願いします。


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