見出し画像

#映画感想文282『シークレットサンシャイン』(2007)

映画『シークレット・サンシャイン(原題:Secret Sunshine)』(2007)の4Kリマスター版を映画館で観てきた。

監督・脚本はイ・チャンドン、出演はチョン・ドヨン、ソン・ガンホ。

2007年製作、142分、韓国映画。

主人公のシネ(チョン・ドヨン)はシングルマザーの女性で、事故で亡くなった夫の故郷である「密陽」で人生をやり直そうと引っ越しをする。

密陽に向かう途中、車が故障する。その車の修理に来た男がキム(ソン・ガンホ)で彼がこの映画を大変見やすくしてくれる役割を担っている。単なる隣人のように見えるが、神様からの贈り物のような存在でもある。(彼女自身はまったく気付いていないのだけれど)

故郷に戻ったシネは、夫に対する愛が深いのではない。執着をしているだけなのだ。彼は浮気をして、彼女を裏切り、事故で亡くなっている。そのような夫を美化して、亡くなった夫との絆が切れないようにする様は不気味ですらあるが、彼女はソウルでの暮らしを捨て、心機一転やり直したかった。

自宅兼ピアノ教室は夫の生命保険で作ったものだ。彼女は引越しとピアノ教室の開業でほとんどの貯金を使い果たしていた。にも関わらず、新しいコミュニティの飲み会で彼女は小さな嘘をつく。投機用の土地を買うつもりだと言ってしまうのだ。シングルマザーの強がりでもあったのだろうが、新参者の事情など誰も知らない。それがきっかけで息子を通わせていた塾の経営者に目をつけられ、身代金を目的に息子が誘拐されてしまう。彼女は金を用立てることはできず、痺れを切らした犯人に息子を殺されてしまう。

最愛の息子を失い、シネの苦悩の日々が始まる。向かいの薬局の夫婦に新興宗教の集まりに誘われる。事件前には馬鹿にしていたものの、救われたい一心で彼女は入信をする。ある日、心の安寧を手に入れられたと確信した彼女は大胆な行動に出る。刑務所に入っている犯人に面会を申し込むのである。そこで彼女は犯人に「赦し」を与えるつもりだった。

ところが、対面した男の顔色はよく、落ち込んでいる様子もない。話を聞くと、男も刑務所に入った後、「神に出会い、救われた。救済された。こんな私でも神は赦してくれた。罪は神によって赦された」と信じられない言葉を口にする。

「なんでおまえが勝手に救われてんだよ。なんで赦されるんだよ」という言葉を彼女はぐっと抑える。面会を終えて外に出ると、彼女は駐車場で気を失って倒れてしまう。

その出来事から、神様に対する強い不信を抱えるようになった彼女は、犯罪ではない程度の悪行を繰り返すようになる。自分のためのお祈りの会の窓に石を投げつけ、窓ガラスを割ったり、CDを万引きしたり、新興宗教の集会で流す音楽を「全部、嘘」という歌詞のCDにすりかえたりする。向かいの薬局の旦那を誘惑して青姦を試みるも失敗。慕ってくれているキムの誘いをすっぽかしたうえに傷つけるような言葉を投げつける。

そして、手首を切り、それでも死にきれず、彼女は路上に飛び出し、通行人に助けを求める。彼女は病院に搬送され、一命をとりとめる。神の不在に対して、絶望しながら自暴自棄に陥った彼女の行動は痛々しいが、息子を殺された母親の痛みはそう簡単には癒えない。加害者を赦した神を赦すこともできない。

退院した彼女は髪を切るために、キムに連れられ、美容院に行く。そこでカットを頼むと、出てきたのは加害者の娘だった。その娘に学校に行っていないのか、と問うと、彼女は「わたしは学校に向いていなかった」とぽつりと言う。加害者は救われたと言い張っても、その娘は地獄のような日々を送っている。娘が十字架を背負わされている。そのことをシネは理解しながらも、状況に耐えられず、怒って美容院を出て、キムを怒鳴りつける。

自宅に戻ったシネは自分で髪を切ることを試みる。懊悩に苦しみながら、それでも人生が続いていくことが示唆され、この映画は終わる。

イ・チャンドン監督は、そう簡単に人を救ってはくれない。監督は無神論者のシニカルの向こうに神の存在を微かに信じさせようとしているように見える。彼女が苦しみながら生きることが、彼女を生き続けるように仕向けているからだ。

とてつもない不幸に見舞われたとき、人はどのように生きるのか。イ・チャンドン監督は、その一つのケースを見せてくれている。そして、自分自身を救うのも、赦すのも、ひどく難しいことであることがよくわかり、少しほっとした。

この記事が参加している募集

映画感想文

チップをいただけたら、さらに頑張れそうな気がします(笑)とはいえ、読んでいただけるだけで、ありがたいです。またのご来店をお待ちしております!