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ここではないどこか

数年前、とある友人から、大阪に引っ越すと言われた。

とある団体の、とある施設で暮らすのだという。東京で行われたセミナーで男性との出会いもあり、付き合っているらしかった。

彼女は頭もよく、気遣いもできる人だったが、ある種の不全感を抱えており、東京での仕事に何の意味も見出せないと何度か話していた。

彼女の言わんとしていることはわかった。自分のしている仕事が本当に必要な仕事だとは思えず、人の役に立っているとも思えず、そんな仕事のために残業をする自分にうんざりしていた。資本主義、新自由主義、Excelなんて、何の意味もないという風に。

だから、彼女がその団体に入ってしまったとき、それほど驚きはしなかった。ただ、そこが居場所として機能しなくなったときが少し心配ではあった。彼女が今も元気に暮らせていたらいいなと思う。

ただ、意味に囚われすぎることは危険だ、と今は思う。

意味なんてない、と開き直ることも、ときには必要なのではないか。

結局、わたしたちは「自分」から逃げることはできない。地の果てまで追いかけてくるのは「自分」なのだ。

だから、時には「自分」を甘やかして、言い訳もさせてやったほうがいいと思う。他者の中にある「正しさ」に依存するのは、どう考えても危険だ。「自分」の中にある曖昧さといい加減さ、だらしなさ、正しくなさに付き合っていけばいい。

それは決して、「逃げ」ではなく、生き延びるための一つの方策なのだから。

そして、仕事は、しょせん仕事で、お金をもらっているからやっているだけであると割り切ってしまったほうがいいのではないか。結局、意味を求め続け、追い詰められるのも「自分」なのだから。

チップをいただけたら、さらに頑張れそうな気がします(笑)とはいえ、読んでいただけるだけで、ありがたいです。またのご来店をお待ちしております!