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#映画感想文『プロミシングヤングウーマン』(2020)

映画『プロミシングヤングウーマン』を観た。

監督はエメラルド・フェネル、主演はキャリー・マリガン。

113分、2020年製作、アメリカ映画。

『Promising Young Woman(将来有望な女性)』という題名は皮肉として使われている。日本語でも「将来有望な青年」という表現の方が一般的だろう。

キャリー・マリガン演じる主人公のキャシーは、医大を中退し、世間から、ドロップアウトしてしまった30歳の女性だ。大学時代の旧友との再会をきっかけに、同級生に強姦され自殺してしまった親友ニーナのために復讐を決意する。

親友の心の痛みを全身全霊で受け止め、復讐に身を捧げるなんて、現実離れしていると思う人もいるだろう。わたしは、実行せずとも、友人のために、娘のために復讐に身を焦がす女性は、少なからずいると思っている。

女性のセックスは嘲笑され、弄ばれてしまう悲劇性がある。

しかし、ここ最近、不思議に思うのは、女性に対して執着する男性の異常さなのだ。女を馬鹿にしたいなら無視をすればいいのに執拗に近づいてきたりする。セクハラしたり、見返りに性的関係を要求するのも男性だ。人前で強姦したり、それが動画に撮られていても平気なのは、どういう神経なのだろう。女性を支配して、征服する姿を仲間に見せるとランクアップでもできるのか。でも、そのような過去は結婚相手の女性には知られたくないのだ。(だったら、やるなよ)

ホモソーシャルという概念だけでは説明ができないような気がしている。野蛮な行為に、あまりにも合理性がないのだ。

女性を「モノ」として扱う文化、女性が「モノ」として扱われることに甘んじる文化とは、一体何なのだろう。

「モノ」として扱っていい女、「モノ」として扱わない女をどう判別しているのだろう。表に出すか出さないかだけの違いなのだろうか。

吉田修一原作の『さよなら渓谷』も、同じようなテーマを扱っているのだが、もっと痛々しく、繰り返し見たくなるような映画ではなかった。

正直なことを言えば、被害者側ではなく、加害者側の心理、なぜ特権的な立場を取れるのか、そういったことをもっと調査してほしいし、分析してほしい。問題を抱えているのは被害者ではない。どう考えても加害者の方なのだから。

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