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断捨離を始めたら毒親も断捨離できた話#5

みなさんこんばんは。

エッセイ「断捨離を始めたら毒親も断捨離できた話」

これまでは、断捨離の準備と断捨離で大事な心得について書いてきました。

5回目の今回は少し変わって「断捨離を始めて変化した事」についてです。

断捨離をしていると、必ずと言っていいほど環境が変化していきます。

そりゃあ物が減っていくのですから、当たり前じゃない?

そう思われるかもしれません。

私がお伝えしたいのは、自分を取り巻く目に見えない環境の事です。

タイトルでもわかる通り、私は家族と仲がよくありません。

家族、というより、父親とです。

私と父親というわけでなく、私以外の兄弟もみんな、父が嫌いです。

私はよく、『二重人格』と表現するのですが、

私の父親は“うち”と“そと”で人格が違うのです。

仕事関係の人などの他人にはとにかく外面が“いい人”。

ですが、家に帰ると一変して無口、不機嫌。

周りの人に話しても信じてもらえない程、父の演技は完璧でした。

しかし、それも最初からではありません。

私が幼い頃は優しい一面もありました。

ですが、私が中学・高校と成長していくにつれ、その比率が変化。

高校生になった時は完全にコミュニケーションが取れなくなってしまいました。

こちらからの挨拶は無視。

向こうが何かしら用事があると怒鳴って私の事を呼びます。

原因は全くわかりません。

一度、本人に真剣に聞いてみた事があります。

「何故家族を無視するのか」と。

理由は教えてくれず、「もう元には戻せないんだ。」「一度外れたレールは戻らないんだ。」と。

そして、私が「家族の事が嫌いなのか」と尋ねると。

「お前たちなんか大嫌いだ!!!」

と叫びました。

この時に私は悟りました。もう家族は元に戻せないんだと。

一時期掛かっていた精神科医の先生にお話すると

「完全にADHDですね~」と言っていました。

とはいえ、ADHDという名称がまだあまり聞き慣れなかった当時の私は、とてもショックを受けました。

そんな事もあり、私は母親にずっと「早く離婚してほしい」と言っていました。

よく、離婚をすると子どもによくないという俗説がありますが、逆もまた然り。

私は、早く父親から精神的にも物理的にも距離を置きたかったのです。

同じ血液が流れているというだけで嫌悪感を起こし、無意味に献血に行きました。

なんでこんな家族のもとに生まれてきてしまったんだろうと運命を呪いました。

そんな中、私が断捨離を始めて1ヶ月が経とうとしていた時です。

ついに母が離婚を考え始めたと、姉から連絡がありました。

私はそれを聞いて大変喜びました!

きっかけは、父の身勝手な行動が家族以外にも影響が出始めたからだと思います。

私の両家顔合わせを父がドタキャンしたのです。

その日の帰りに(代わりに姉が参加してくれました)、離婚を考え始めたようです。

私事にはなるのですが、今年の秋頃に結婚式を控えております。

今までは結婚式といえば、両親を呼ばなければならないからと、なかなか結婚式を出来ずにいました。

もちろんコロナの事を考えての事でもあるのですが。

そもそも、家族に絶望しかなかった私は、結婚しても幸せにはなれないからと、

付き合い始めて7年も経つパートナーと結婚する事も諦めていました。

友だちに話した所、「父親呼ばなくてもいいじゃん?」とあっさりと言われ、

それもそうかと式を挙げる事にしました。

最悪、他人には“とてもいい人”を演じられる人ではあるので、他人が大勢集まる場所なら大丈夫かなと思いましたが、

どうしてもバージンロードを一緒に歩きたくなかったのです。

一縷の光が見え始めた私ですが、まだ決別は出来ていません。

完全に父親を捨てる出来事が起こるのですが、それはまた次回に!

今回もお付き合い頂き、ありがとうございました。

いつもたくさんのスキ♡をありがとうございます!

それではまた明日、お会いしましょう。

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