Mnr N

1992年生まれ 東京都出身 20代前半ドイツに2年半在住し、税金と年金を納めた経験を…

Mnr N

1992年生まれ 東京都出身 20代前半ドイツに2年半在住し、税金と年金を納めた経験を生かし、都内勤務(営業職)英語とドイツ語が使える環境に転職。

最近の記事

目標は売り上げ1億円

目標は人の行動を変える。5000万売り上げる場合と1億売り上げる場合では作戦の立て方とアプローチ先と毎日の過ごし方が違う。 来年の1月末までに1億といったら、案件数として大型なら10、標準なら20という数が必要。納期が3年先なんてざらにあるから、売り上げはすぐに立たない。その中で私がなぜ1億円を目指さなくてはならないのか、どうしてそれが必要なのか、ここで説明しようと思う。 今はどこも不況だし、先行き不透明だ。しわ寄せは弱者や小さき者へと向かう。 誰にもコントロールできな

    • アイントラハト・フランクフルトの唄

      ヨーロッパのまんなか という曲があります。 とっても、アツイ曲です。 歌を「唄」と書いてしまうくらい、土着感の強い、郷土愛の強い曲なのです。 Im Herzen von Europa この曲は、森の中にあるスタジアムでよく歌われてるみたいです。 夜は真っ暗でお化けが出そうな森です。 この森とスタジアムは、大学病院と国際空港に挟まれた、なんともいわれぬ場所です。 良くいえばのどか、悪くいえばしけてる。 頻繁にルフトハンザの飛行機が頭上を飛び交います。 かつては、このスタ

      • 沈黙した理由

        ここんとこ、毎日しんどかった。 いや、明日からもまたしんどいのかも知れない、(って思うとちょっと重い) 理由は、仕事。 まず、のびのび営業活動できない。積極的に草の根的アポ取れない。 奇跡的に、ずっと狙ってた会社からピンポイントでインバウンド来たからなんとかなったけど、それがなきゃもっと暇だった。 正直私の仕事は景気に関係あるようで、インフラだから短期的な影響を受けにくい。 それに救われてる部分は大きい。 でも、大きいプロジェクトを拾いに行くような、高度な、そして緊急性の

        • サッカーが引っ張ってくれた人生

          無関係なように見えて、考えてみると私とサッカーの関わりは深い。人生の節々でサッカーが人生の駒を思わぬ方向に推し進めたようにも見えます。 最初に断っておくと、私はサッカーをまともに教わったこともないし、小学生の時に遊んだ程度。まともに教わりたかったし、ラームみたいに華麗なボールさばきができるようになりたかったなあっていう気持ちがないわけではない。 しかし結果として、今現在、私はサッカーをする側ではなく、完全に観る側の人間。 それでも不思議なもので、サッカーは観るものに生き

        目標は売り上げ1億円

          賞与面談で言います

          私はずっと、自分には明確な軸があるのだと、思ってました。 もちろん、確かに存在するんだとは思います。 でも、色んな、あまりに過酷な、思い出すだけでもつらいような期間が、半年にもわたって続いたとき(今も継続中)、ついに壊れちゃったんです。 要は、信頼する人たちが離れていってしまうこと、もう一緒に仕事したり、アドバイスもらったりできなくなっちゃうこと。 残ったのは、あまりに無自覚に、ごく自然に人を攻撃する人か、自分のことしか考えていない人で、そういう人たちのことも尊重しながら、

          賞与面談で言います

          人生変わった1日

          これはもう、一種の革命に違いない。 今までの弱かった自分、勇気のなかった自分、ぐだぐだ御託を並べるばかりの自分、、どこへ行った? ひとつ、ありえないくらいの勇気を出して、行動しただけ、ほんのそれだけなのに、どうして全く違う世界に、行けるの?? 自分の変化に、びっくりしすぎて、それはもう感動の賜物なので、書き留めておこうと思う。 私は、今日を、5月7日を、「決起の日」と定めた。 「決起の日」と定めたからには、絶対に成し遂げなければならないと、決意を強くした。 9:0

          人生変わった1日

          真剣に、生きてる?

          私と同世代(1990-1995生まれごろ)の人たちは、ほとんど例外なく、ジブリ作品を観ている。 その中で一体どれだけの人が、その真意に想いを馳せているのか?私は問うてみたい。 ジブリ作品を貫くテーマを私なりに考える時、人間の傲慢さ、自然と人間、人間性に対する繊細さ、人間のロマン、主にこの4点であると思う。 今本筋として、作品の評価をする目的はないので、あくまで導入として、言わせてもらえば、「これは書かなくてはならない」が原点であり、そこから作品が、できた、と。 ひとつ

          真剣に、生きてる?

          2020年に手紙を書くことについて

          2020年という、高度にIT化された時代に、誰も手紙によって自分の気持ちを伝えようなどとは考えぬ時代に、肉親でもない者に、手紙をしたためるのは、もはや非常識にあたるのだろうか? まず、私個人の経験で言おう。ちょっとbusinesslikeな言い方だけど、「実績ベースでいうと」数回はある。 小学生時代。もともと小学生が恋文を書くなんていうのは、定番中の定番。私も書いた。同じ男の子に2回以上書いている。その男の子は、その手紙をもらって、笑っていただけだった。もはや、私と彼の関

          2020年に手紙を書くことについて

          恥ずかしいことを大声でいうとき

          無鉄砲な子どものような心臓と、理性を備えた大人のような頭脳の闘いが繰り広げられる。子どもが手を出そうとすれば、大人はその手をぱしっとつかみ、阻止しようとする。子どもは無邪気な心で意識の向かうままにふらっと立ち上がるが、大人の監視の前にやっぱり身動きが取れない。 そんなことを何百回と、繰り返したことだろうか。あぁ大人っていうのは、周到で、用心ぶかくて、臆病なんだな。子どもはどうにもそう思うしか、心のやり場はない。 大人は子どもを心配しているのだ。これ以上傷を負ったら、一体ど

          恥ずかしいことを大声でいうとき

          「私」を決めるな

          20歳にして日本を離れることを決意し、27歳にして人生に絶望した。 しみったれてるのにも疲れたので、絶妙な文体スタイルを確立することに、日々邁進したい。 自分は要らない。自分をちくりと刺す嫉妬心は要らない。自分を壁へと追い詰める余裕のなさは要らない。「私が私が」精神は要らない。無意識に横目がちな比較心は要らない。心を食い尽くす勝ち負け論は要らない。 つまり、一回「自分」を捨てて、「自分」から解放されたい。 自分は取るに足らない。それで良い。取るに足らないから、正直だか

          「私」を決めるな

          Love is dead. 愛はもうそこにない

          愛とはなんて非力なのであろうか。誰もが本当は、本質的には、心の深淵で他者とわかり合いたいことを欲しているのに、つまりは愛を欲しているのに、誰も愛を最重要なものとは見なさない。愛よりも、俗物的な金や、消費することの方が切実で優先されるべきことと考えている。というのが、エーリッヒ・フロムの教えだった。 むしろ愛などについて、口にでも出そうものなら、宗教的な何かを連想されたり、気持ち悪がられたりするものだ。私は愛を何かの道具として、それを用いて、何かを伝えようとしているのではない

          Love is dead. 愛はもうそこにない

          不幸と幸福の絶妙なバランス

          2020年4月24日現在、「今幸せですか?」と聞かれて、間髪なく、躊躇なく「はい!」と即答できる人が世界にはどれくらいいるだろうか?多分、多くはないと思う。どちらかというと、「生活が苦しくて」とか「この先どうなるのか…」とか「とにかく退屈で」とか、答える人がほとんどであると思う。 実際、私もそうだ。幸せかって言われたら、満面の笑みで肯定はできない。今日は金曜だから、一応は一週間の中での仕事納めみたいな日であって、一区切りはつくべきなんだけど。 家の中で仕事することに関して

          不幸と幸福の絶妙なバランス

          ドイツの歴史と偏見と見過ごされた無関心

          人生で初めて、熱中して読破した本がある。その時私は、小学生だった。4年生くらい、だったのかな。学校がつまらなくて、なんとなくみんなとも距離を置いていた時期だったような気がする。 本を借りたきっかけ、手に取ったきっかけは、全く覚えていない。多分、感覚。なんとなくだった。そのころは、何も知らなかった。世界の国々の名前も、国旗も、もちろん歴史も。 ドイツっていう概念が頭の中に入っていたとは、思えない。でも自分とほぼ同い年くらいだった女の子の厳しい生活に、女の子が感じたであろう束

          ドイツの歴史と偏見と見過ごされた無関心

          ファストな社会とスローに向き合いたい

          あなたの魅力を1000パターンの言葉で表現したい。 その1000パターンを思いつくまでの貴重な時間稼ぎが、今この外出できない状況だ。外に出るまでに別人にならないといけない。根本的にレベルの違う人間に生まれ変わりたい。 子供時代の私は、戦争が怖かった。人が憎しみ合うのは避けられないけど、剣(暴力)ではなく、ペン(言論)で闘って欲しいと願った。 かといって、本質的な対立を避け、表面的に笑ってやり過ごすのも、事態の解決には程遠い気がした。 どうやらおかしいと思ってたんだ、ここ2

          ファストな社会とスローに向き合いたい

          経済の上に成り立つ悲しい恋と打開の一歩

          自分自身に集中する、そこにしか打開策はない。 そういうふうに、あらゆる故人は、その著作で強調している。結論を出さない、問いかけまくる。自分と対話しまくる。 私には一体今なにが起こっているのか。どういう心の状態で、人にどういう態度を実際取っているのか。私の思考も嗜好も、結局は消費された社会のあらかじめ予測された枠組みの中にしか存在しないパッケージなのか。。 では、なぜ特定の1人に人は惹かれるのか。その人は比類ないと言えるのか。私がそう考える根拠はどこにあるのか。 その答えが見

          経済の上に成り立つ悲しい恋と打開の一歩

          新しい世界への祈り

          「祈り」なんて書くと、宗教的な匂いがすると思われるかもしれない。だけど、本投稿における私の意図は、全く違う。 祈ることは、沈黙することだ。祈ることは、人に押し付けないことだ。祈ることは、ささやかな行動を始めることだ。祈ることは、ぎりぎりのところで人に失望しないことだ。つまるところ、自分の耳を塞がないことだ。 どんなに野蛮な人間にひどい仕打ちを受けたとしても、外を向き続けたいと思うことは、愚かだろうか? 2020年現在の世界において、1年前には全く想像しなかった困難が日々

          新しい世界への祈り