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エスカレーター片側開け問題とゴブリン論法

世にいわゆる「エスカレーター片側開け問題」というものがあります。
エスカレーターの乗り方において「片側空けて急ぐ者に歩かせるのがマナー」VS「そのマナーは間違ってる、両側に立つべき」というあの議論です。

階段派である私はこの議論への主体的立場は無いのですが、近年どうも「両側に立て」派の議論姿勢・論陣への疑問を覚えることが増えました。

今日は「両側に立て」派の何が良くないかを説明していこうと思います。


反論対象として使わせてもらうのは著名な社会学者パオロ・マッツァリーノ先生の2エントリです。

「両側に立て」派の主要論陣を網羅する優れたエントリですが、ここでは引用して反論していくのでリンク先まで読む時間がない人も安心してください。


1.社会に蔓延るゴブリン論法について

 東京だと左側に立って右側を空けるルールが定着してます。
しかしカラダが不自由で右側のベルトにつかまらないとうまく立てないって人もいるんです。それはかなり切実な問題です。

そういう人たちが右側に立って乗る権利よりも、急ぐ人の権利が優先されるというのは、どういう価値観や倫理観、人間観にもとづいているのか、ヘリクツや詭弁抜きで納得のいく説明があるなら聞きたいですね。

反社会学講座ブログ

初っ端「カラダの不自由な人が困っているだろう!」が来ました。

問題点ひとつ目ですが、まずこれはもう頻出の典型的詭弁ですよね。
というのも昨今なにか論争になると、まずは持ちだせる範囲の一番重篤な弱者を人間の盾みたいに前に突き出す風潮あるじゃないですか。

体が不自由で特定の側で掴まらないと立てない人、大変です。
しかし実際にこの議論を争ってるのは自分の脚で階段も登れる健常者の人達でしょう?エスカレーター利用者のうち半身麻痺や義足の人は何パーセントですか?大半の利用者はそういう体の人ではない。たぶんパオロ先生もそうではない。

であるのに「健常者としてエスカレーターに乗る自分達」の実存を議論の俎上から消し、弱者や身障者を肉の盾にして前進するスタイル。開幕から主戦法としてそういうことをやる。ゴブリンかあんたらはと言いたい。

ゴブリンスレイヤー3巻

ただでさえ空中戦になりがちなこの種の議題において、こういった不毛な反則論法をおっぱじめることは、議論をこれ以上なく空虚化させる行為だと思います。であるのに今の社会はこのやり方に疑問すら持たなくなっている。


2.本当に障碍者のためを思ってる?

「掴まらないと立てない、体の片方の側でしか掴まれない」というのは主には脳梗塞で軽くない後遺症が出たケースですよね。
そんな重篤身障者を持ち出してこの問題を論じるならばそもそも、「なぜ健常者のあなた方はエスカレーターに乗るの?」と私は聞きたいんです。

それぐらいに体が不自由な人達を第一に問題を考えるなら、「片側歩く」派だけでなく「両側に立て」派も十分不埒なんですよ。
だってあなた方も絶対邪魔ですぜ?
  

いま肉盾にされてるレベルの身障者は、そもそもエスカレーターに乗る場面がスムーズでない。動く床の前で立ち止まって逡巡して意を決して乗る感じになる。降りる場面はもっと難儀で大変怖い。
 
そういう時にスッスッと乗り降りできる健常者がすぐ前後に居たりするとプレッシャーだし邪魔なんです。焦るし、もしもふらついたらぶつかっちゃう怖さがあるし、それこそただのグズと思われて舌打ちされることだってある。周りを開けておいて欲しい。

横を歩く人間が身体障碍者の邪魔だというなら、前後につけるあなた方も同じく邪魔。介助者以外にそばに立たれるのも邪魔なんです。

何よりも先に障碍者の為を思い、障碍者に不便を与える可能性のある人間を強く攻撃する人達が、そのていどのこと(自分達の邪魔さ加減)に思い当たった形跡も検討した痕跡も無いのは不審なことです。

3.大事なのは身障者の利益?自分の利益?

そういう人たちが右側に立って乗る権利よりも、急ぐ人の権利が優先されるというのは、どういう価値観や倫理観、人間観にもとづいているのか、ヘリクツや詭弁抜きで納得のいく説明があるなら聞きたいですね。

反社会学講座ブログ

強力な肉盾をかざしつつ「価値観や倫理観、人間観を問う!」ときました。ゴブリン式シールドバッシュは絶好調ですが、やはり不審です。

そこまで高いモラルでエスカレーター利用姿勢を問い、かつ想定するのが半身麻痺レベルの人ならば、やはり「健常の我々はエスカレーター使うべきでない!身障者の為に空けよう!」となるはずなんですよ当然に。

なのになんで「麻痺の人に迷惑だから歩くな!でも私は乗っていい」になるんですか?乗るなよ。

このように、障碍者を便利に突き出し振り回すわりに障碍者への想像力がなんかおかしく、障碍者の話は自分の気に入らない利用スタイルの人間をなじることにだけ使われており、それと同じ厳しさで自分の利用スタイルと障碍者都合との衝突を検討した跡がない。

これはど~~も障碍者のためを思う心から出てきた論ではなくないですか?
そうではなくて、「自分の気に入らない利用スタイルの奴を追い出しつつ自分はエスカレーターを利用する」という着地点がまずあり、その着地点に都合良い恣意的な障碍者を設定してるだけじゃあないですか?

邪推でしょうか?
しかし彼等の論のおかしさ・不審さ・不合理性ははまだ続きます。

4.エスカレーター事故は歩行者が起こしているか

そもそもエスカレーターの事故で圧倒的に多いのは乗り降り時の転倒です。
半身麻痺まで行かなくとも高齢者などはもう乗り降りが結構危ない。それか酔っ払い。そういう人の乗り降りがスムーズに行かなくて焦って転び、そのとき下に人がいて接触が起きれば大きな事故にもなる。

一方で、「歩行者が危ない」っていうのはなんかデータがあって言ってるんですかね?歩行者による事故は乗り降り事故に比べてどれぐらいの割合であるんでしょうか?

もしもそこを確かめずに先入観や義憤だけで突っ走ってるならその議論ってどんなレベルなんでしょうか。

私が探してきたこちらのデータを見ると、歩行者が立っている人に触れた事故はたったの1.9%。歩行者が自爆した事故は12.1%。一方で乗り降り時の事故は55.3%。
また事故主体で言えば事故は主に老人、未就学児童、酔っ払い、荷物持ってる人、既往症のある人が起こしてるんですよね。

このように、データを見ると
「半身麻痺のある人が歩行者に脅かされて事故りまくってる」なんて現実はなく、「肉体的に弱点ある人が乗り降りのところで事故る」のが過半数です。

「両側に立て」派の論拠は既に相当壊れていませんか?


5.不合理な主張とよこしまな動機

あと私はエスカレーターにトランクとか持って乗る人見るたび潜在的な危険を感じたのですが、やはり事故は結構あるようです。でも「大きな荷物や重い荷物持って乗るな」と言ってる人見たことないし、鉄道会社のアナウンスにもない。

つまり、そもそも「両側に立て」が本当にリスクを真剣に想像したりちゃんと自己実態を調べて事故を防ぐ目的で提唱されているのかすら怪しいのではないですか?身障者配慮が笑わせる話です。

もしくは逆に、障碍者にエスカレーター使わせるなって話なんですよ。だって半身麻痺の人が使う設備としてエスカレーターは十分に安心安全ですか?そんな訳ない。彼等の為を思う議論は「エレベーターを増やせ」のはず。

麻痺の人がエスカレーターなどという怖い設備を使い、健常者がそこにドヤドヤ相乗りする、等というソリューションが身障者保護から発したイメージでないことなど一目瞭然です。

であるのに「両側に立て」派の一番の名分は「体の不自由な人が~」になる。反論されにくく委縮を狙えるから。盾として装備しただけ。

これがゴブリン論法です。

   

6.まとめ 及びゴブリン論法の害について

エスカレーター論争におけるゴブリン論法の怪しさをまとめると

・開幕から強烈な弱者シールド打撃で相手陣営の萎縮を図る
・提唱する「弱者への配慮」は自陣営の目的に合致する範囲に限定され
 自陣営の利益が低下するような配慮は検討されていない
・調べるとそもそも提唱ソリューションが「弱者への配慮」として不合理

という感じで、これは議論の合理性建設性等々を阻害しているだけなんですよね。

エスカレーターで片側開けたい者と両側立ちたい者の議論は、あくまで
双方の権利や価値観の激突と調整、
全体合理性や弱者福祉への科学的検討、
等々を通して粘り強く行われるべきもの。
   
そこにゴブリン論法を持ち込むことで、議論は劣化し知性も低下します。
これは少しも弱者への配慮なんかではないでしょう?
弱者をダシに、より怠惰でラクチンな議論を志向した横着者がいるだけ。

鉄道会社もゴブリン論法の常習犯なのですが、かつて「電車内の携帯通話はやめよう」というマナーを定着させる際「ペースメーカー利用者への配慮」という名分を持ち出しました。典型的ゴブリン論法です。

あれのせいで無用な不安・電磁波陰謀論・車内の無数の喧嘩が起きた訳ですが、鉄道会社は反省しません。弱者を盾にどさまぎで目的を通すのはラクチンだからです。ゴブリンは反省しない。


7.現代社会はゴブリンだらけ

ゴブリン論法は本当に現代社会に無数にあって、例は大小無限に出るものです。かつて長谷川豊という人が大暴論をぶち上げ大炎上した際も、長谷川を処刑する側は実はゴブリン論法を使ってしまいました。

きちんとした議論、きちんとした剣で長谷川を処したのではないので、その害はいずれ必ず出ることでしょう。

エスカレーター議論以外での、社会に蔓延するゴブリン論法の毒についてはまた機会のあったとき改めて解説したいと思います。

おわり。


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