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みんなの《メっけモん》

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みなみなさまの《メっけモん》を僭越ながらキュレーション。
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zoomはコンドームのようなもの。今までなかったのが普通のコミュニケーションだったのに、それをするのが当たり前になると直接会うのに価値が出る。

女性にとって喫煙って、「お前らの期待は全て拒絶します」みたいな意味があることがある。

手元灯とかスタンドライトといったもののことを好きになっている。天井から部屋全体を照らすものにも明るさの段階はあるのだけれど、輝度ではなく、明るくする範囲がそもそも狭い照明器具は「ひとり」のための環境をつくってくれるように思える。

TwitterもFacebookもおよそSNSやインターネットは自己開示の場だ。みんなそれぞれ見せたい自分を見せる。でも、それは自己顕示にすぐに取って代わる。いわゆる「イタイ人」ほどある意味で自己をちゃんと開いている。

携帯ゲーム機やPCの「スリープ」を表現しているLEDライトの明滅は、人間の寝息がそこにあるかのように感じさせるリズムでできているのだと思う。扇風機のリズムモードもたぶんそうで、心地よいものを意図して自然物からの引用をしてるのだろう。あ、雲の流れで陰るような照明は快いかもしれない。

イライラがおさまる命の母に対して、ムラムラがおさまる魂の父。

少女はひどく複雑で、周りは敵だらけで、でも可愛いですべて包んで平然とにこにこ笑ってたり泣いてたり怒ってたりそれぞれの装甲でこの世と対峙してる。可愛いに振り回される。

理屈でもの作る人は理屈の精度に左右されてしまう。

恋文は書き終えたあと一晩ねかせて読みかえすべき、というのは確かにそうだと思う。誰かのことを思わずにいられないときは幸せな心地がするようだけど実はたいへん疲れるので、その恋文には思いの強さの中に「この恋をいっそのこと終えてしまって、はやくラクになりたい」という表現がまじるからだ。

おじさんたちが偉そうになんとか論を語り合うことの愛すべきエターナルさ。

接着剤なしに真理への足場を意図的に組み立て、怯むことなく手をのばす心を、『勇気』と呼ぶことにしよう。好奇心だけ、冒険心だけでは不十分だ。そして、接着剤なしにというよりかは、その行動自体が接着に他ならない。

「ひとりでできるもん」は、後ろで見ている親の温かい視線あってこそのひとりでできるもんであって、大人になってからのひとりでできるもんは、誰も見ていない中での孤独な戦いなんだよ。

真夜中の酔っ払い。
スカイプしながらビール飲みながら…なぜ電話とかしながらだと落書きって捗るんでしょうねぇ?(笑)