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桜散る桜散る、でもここにいる

だいすきな「14歳の栞」が、また映画館で観られるらしい。このご時世なので個人的には再会が叶うかなんとも言い難いけれど、代わりにこの体験はぜひ読んでくださっているあなたにしてほしい。ということで、書き綴ることにした。


一言でいえば「或る中学2年生の3学期を追ったドキュメンタリー」である。良くも悪くも、ほんとうにそれだけ。特別なことは起きないし、大どんでん返しや派手な伏線回収がある訳でもない。ただ、クラスメイト35人の頭の中や笑顔の裏側をひょいと覗かせてもらっているだけにすぎない。でもそれが本当に本当に魅力的なのだ。

作品では、実在する中学校の2年6組所属36名が変わるばんこに取り上げられてインタビューに応じる。苗字だけのカタカナでこそあれど、実名で。
彼らの世界に嘘偽りはない。厳密には「こう見せたい」「こうありたい」を演じているであろう嘘を含めて純粋なリアルがそこにある。


意識して明るく振る舞い、時には誰かをイジることでクラスの中心にいる子。教室ではなく部活のかかわりに居場所を見出す子。過去の自分が発した言葉を人知れず後悔し続けている子。自分のことが嫌いな子。周りのことが嫌いな子。前に一歩踏み出したり留まったり、カメラの向こうで彼らが生きていた。
「○○さんは、」と実名で話題になった、その先にいる側の子からの話が飛び出してくると、いつのまにか作品を観ながらまるで自分もクラスの一員なのような気持ちになってくるから不思議な体験である。


誰しもが通ってきた14歳というあの点を、ずっとずっと線として引き続けている彼らがそこにいるのだ。もう10年以上前のこととなってしまったわたしからすれば、14歳の頃のことなんてもうほとんど覚えていない。
けれどリアルタイムで14歳の「昨日」と「今日」と「明日」がひと続きにあって、それから「来年」「10年後」とまだ知らないこれからに目を向ける彼らが眩しくて仕方がなかった。
ああ、そうだったねこういうのあったよね、がきらきら散りばめられていて、観ながら心がぎゅっとしたり、我がことのように恥ずかしくなってしまったりする。好きな男の子にチョコレートを当て逃げみたいに渡すところや31アイスクリームをお小遣いから「奢るよ」ってご馳走するところなんて、もう!ああもう、書きながらソワソワしちゃうな。愛おしい瞬間だらけだ。忘れていたくすぐったさを、胸の奥でコチョコチョ撫でられているみたい。


もちろんそんな淡い場面ばかりではなくて、それぞれに葛藤があったり後悔があったりと、時折ハッとするシーンがある。不登校や、ハンディキャップ。クラスメイトが知らない姿や側面。諦めや不安。彼らはまだ14歳だけど、もう14歳なのだ。そんなことまで言っていいの?!数年後に見返して後悔しない?!?!と勝手に心配してしまうような危うさの中に、ちゃんと彼らなりの答えがある。それが間違っているか正しいかは誰にもわからない。選ばなかったほうの道は、ifだとしても描かれていないから。でも人生ってそんなものだ。

中学校を卒業する、つまりは義務教育が終わる中学3年生でもなく、大学受験を見据える高校2年生でもなく、中学2年生の3学期という絶妙さがたまらない。
多分「こういうキャラで」とプロに台本を渡しても、あんな作品にはならないだろう。ハキハキ話す子。友達みたいに話す子。カメラに目線が向けられない子。いろんな子がいて、いろんな人生があった。

「10年後はー、結婚して、子どもが2人いて、」と話している彼らの、まさに10年後の年に今の自分がいるのが不思議だった。10年経つと、思ってたのと全然違う未来が待ってたよ。あの頃の悩みは解決したし解決してないし、でもそれで良かったと思ってるよ。そんなふうに、こっそり言ってあげたくなるような気持ち。本当に情緒の忙しい、「追体験をする」という言葉がいちばんしっくり来る映画だ。

わたしは未だに主題歌になっているクリープハイプの栞を聴くたびに、彼らがいた世界を思い出す。あんな頃もあったよな、ともう言い合っているかもしれない世界線で、どうか幸せであってくれと思う。あの頃と今とこれからは、ひと続きになっているし。たとえ住む場所や関わる人が変わっても、あのときあの場所にいた事実は消えないから。

実在する人物のセンシティブな部分も扱っているという特性上、個人情報や誹謗中傷に対して他の作品よりも気を配っている作品である。だからこそ配信の予定はないし、円盤化する予定もないそう。
だからぜひ機会があれば観に行ってほしい。
14歳の頃のあなたが、きっとあの教室のどこかに居る。



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