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2021/01/14

学びは愉しい

私は「できれば一生を大学・大学院での学びに費やしたい」と思う。

小中高と,さして勉強が好きではなかったし,高校時代に至っては勉強が嫌いとまで思っていた。
しかし大学に入学したら,世界が一変したのだ。

勿論自分の専攻したい分野について思い切り学べるというのも大学の魅力だろうが,私が一番喜んだのは,「大学に入学したら新しく学びたいことがどんどん見つかった」ということだ。

それは今までの自分であれば信じられないことだった。

私は大学時代に初めて勉強の愉しさを知ったと言ってもおかしくない。


小中高の学習に対しては,総じて「パターンをこなす」印象を強く持っていた。
なぜ「このパターンになるのか」と考察してみる暇もなく次の学習が与えられ,学習と学習の空隙を部活やイベントが埋め尽くしていく。あまりにも忙しない生活だ。
「学んだことは絶対一生役に立つ」という言説を目にしても「解答方法のパターンを覚えたところで,実生活に役立たないのは自明のことだろう」と呆れるばかりだった。

一方,大学における学習・勉強では「パターンをこなす」ことが全くと言っていいほど存在しなかった。
小中高で習わない専門的なことだから勿論1から覚えるし,覚えたことを応用できる授業やゼミ,日常のいろんな事象があって,「学んだことがこう活きる」という実例をまざまざと見せつけられたのだ。

私はそれにひどく驚き,ひどく感動した。

勉強によって自己を知る

もう一つ私が感動したのは,専門領域の研究をするなかで「理論そのものではないが大切なこと」や「自分の癖や価値観」までも理解できるようになるということだ。

専攻する分野の理論・内容以外にも,その専門領域を学んだ人にしか判らないこと,というものが存在する。大学で学んだ人は共感していただけるのではないだろうか。

心理学の場合を例にすると,「いかに人々は言葉の定義をいい加減にして会話しているか」とか「普通に話していても実はコミュニケーションが成立していない場面がある」とか「人間はしばしば非合理的な判断を下す」とか,挙げればきりがない。

また,研究を進める場面で,研究計画書がごちゃごちゃしていると「自分は整理整頓が下手だな」と思ったり,指導教官に何か説明をするとき,回りくどくなったら「自分は難しく考えすぎる時があるな」と思ったりする。

私はこういうことをいっぱい体験するのが愉しいのだ。

大学で学べるのは理論そのものだけではない。

できれば一生でも大学にいたいと思ったが,研究で飯を食うには「学生指導」や「クラス運営」「論文執筆」など沢山の能力が要るので,泣く泣く諦め就職を選んだ。

しかし,学生生活を経て,「学びの愉しさを知る人間」になれたのは,とてもよいことだったと思う。

久しぶりの投稿でした。最後までご覧下さりありがとうございます。

それでは。

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