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慰めのブランチ@コメダ珈琲店

今日は代休、残業時間はそろそろ50、少し流石に人間味を失ってきたような気がして、いつも通り起きてジャバっと風呂に入って身支度をした。

さすがに人間に戻りたくなった。
シャキッと外に出たくなった。

ゴミをまとめて、ペットボトルも収集場所へ持っていった。

いそいそ、いそいそ。

フリマで売れた洋服も梱包して近所のコンビニへ持って行った、発送発送。

うーん
お腹空いてきたし喉も乾いたけど、冷蔵庫の中にあるのは豆乳とヤクルトと炭酸水だけで、流石にもう少し「飲み物!」みたいなものが飲みたい、つまりおしゃれな飲み物。

水にも飽きたんだ。

サクッとフローリングを拭いて外に出た。

よーしコメダコメダ!

今気になっている文庫本を鞄に差しこみ、優雅な読書休日を心待ちにし、さっと日焼け止めを塗って外に出た。

危ない危ない、ハンカチハンカチ。

たどり着いたカフェは比較的空いていたけれど、おひとり様用カウンター席は残り2席だった。

『お客様〜カウンター席でもよろしいですか〜?』

「あ、はい(むしろその方がいい)」

座って気がついた。そこは暴風ゾーンだった。エアコンの風が直ブチの座席。なるほど、だから空いてるのか。

目の前のナプキンはバタバタと今にも舞い上がりそうなほどはためいている。

うーん、今のうちかな、移動するなら。

けれど、どうだろう。
飲食店経験者としては、何卓に何名、というのをもう入力送信していたら、後処理が面倒だろうな、などとあれこれ考える。

そうしているうちに手元で開いているメニューはただ視界に入っているだけの状態になっていて、何のために座っているのかわからなくなった。

真剣に選びなさい、

とせっかくの休日にもかかわらず脳を叩き起こした。

そうしているうちにどんどん体は冷えるので、家を出る時は(喉乾いた!冷たいの冷たいの!)と半ば駆け足で歩き出したのに、(あったかいのあったかいの、)となっている。

そしてあわよくば、空いている席に移動したいと相談してみよう、此処はあまりに風が強すぎたというお話も添えて。

ピンポーン

『お待たせいたしました、ご注文をお伺い致します。』

「ホットのカフェオーレ、あのこれってたっぷりサイズありますか?」

*私は数えるほどしかコメダに入ったことがないのでシステムをひとつひとつ確認する必要がある

『ございますよ!』

「ではそれで、あと小倉ト」

『お客様すみませんたっぷりサイズですか?』

「あ、はい」

『たっぷりサイズですか?(語気が強まる)』

「あ、はい、」

こういう瞬間、あぁやっぱり外の世界に出てくるんじゃなかった、と思う。いつも思う。カフェで注文一つもまともにできないやつが(声が張れなくなるのだ)、Twitterで見かける「カフェで読書♪」を真似ようと思うな、と思う。いつも思う。

それから無事(?)にお目当ての小倉トースト(これは、コメダの小倉あんを購入して家で自分でやってみたけれどやはりお店のあの感じには全く及ばなかった)をオーダーし、たっぷりサイズのくだりで焼いて冷めたレバーぐらい縮まった心臓を押し込めてるうちに座席移動の話など喉の奥に詰まったまま、店員さんは戻って行った。

直後、テーブルに荷物をどーん!と置く系のおばさまがその唯一空いている席に勢いよく腰掛けた。

受け入れよう。

その瞬間、そう思った。
私の運命は今日は此処の座席なのだ。

心を沈めてドリンクとトーストを待つ。

こんなことで全身に力が入ってしまった私は、出てきたお冷(冷たいの冷たいの!)なんてチビッと一口飲むので精一杯だった。

高校と大学の友人から癒しみのあるほのぼのとしたLINEが来ていて、ああまたしても救われてしまった、と思った。

友人A【今日も暑いねぇ〜午前中からエアコンつけちった】

友人B【明日楽しみ〜、朝飯どうする?】

何気ない会話を、わざわざ文字にして、送ってくれるという心。ありがたい。

モーニングでも朝食でもなく“朝飯”と送ってくるあたりが、さすがこの宇宙人オレ様に懲りることなく付き合ってくれてきた人だな、と思う。

トーストが運ばれ、熱々のカフェオーレたっぷりサイズも揃った。

本も用意して、Twitterに載せ“たい”写真を張り切って撮ろうとスマホに触れた。

待てよこの暴風の中そんなことをしていちゃバターが溶けるほどの温もりは失われてしまう、急げ。

私はスマホをペタンとテーブルの上に戻し、大急ぎでまだ熱々のトーストにバターを塗り始めた。塗っては食べ、塗っては食べ、を待てるほどの風量じゃない。時間は待ってくれない。

4カットあったトーストのうち1枚を順調にクリアする直前気がついた。

これはスプーンではないか?

何用のスプーンだ、カフェオーレたっぷりサイズのではないか?

バターナイフはどこだ?目の前にあるではないか

少し悲しくなった。窪みにしっかりと詰まったバターと小倉あんをできるだけトーストに塗り移し、何事もなかったかのように(むしろカフェオーレたっぷりサイズに小倉あんバターが少々混ざったら美味しいのではないか、などと考えながら)ソーサーにスプーンを戻した。

そうして平然と目の前に置かれたままのバターナイフで続きを塗っていく。

そうこうしているうちに、先ほど開けたおしぼりの袋が例の暴風でどんどん落ちる。でももう止められないほど手はトーストの粉とバターと小倉あんにまみれていたし、もうこれはごめんなさいしよう、と思った。もしも全てをし終えて私のそばにそれがまだ生き残っていた時に拾いますから!という気持ちで。(当然そのビニールは暴風の中、店内のどこかを彷徨っていった。)

あたたかいうちにひと通り塗り終えることはできたものの、終わってみればそれらは、映える写真を撮れそうにもないほど趣きのない状態になっていた。

私が雑というのもある。

この瞬間諦めた、“コメダで読書なう”。

まあ、とはいえこれこそが私の人生だと思う。
いつもおしゃれに綺麗にはいかないのだ。

いつもどこか残念で、周囲から見たらきっと鈍臭い。だからいつも周りはイラリとするのもなんとなく伝わっている。

トーストに気を取られているうちに若干冷めたホットカフェオーレたっぷりサイズを一口飲んだら本当に沁みた。びっくりするほど、沁みた。


ああ美味しいな、


もしあれで暴風の吹かない座席で淡々と時を過ごし、コメダで読書なうができていたなら、その八文字で全てを終えていたに違いない。

そうできなかったことが、久しぶりのnoteに繋がったのならまあまあではないか。

書くこと読むことは私の色々な部分を確かに支えていて、どんなことよりも無我夢中に、無心にしてくれる存在である。

それを予期せぬタイミングで出来たことで、私の今日一日がとてもふんわりあたたかなものとなったのだから、まあまあではないか。

そんなことを思えるブランチを過ごしたアラサーは、ほんの少し慰められたような気がしている。そしてやはり寒いので、ものすごい速さであの豆菓子を食べ、場所を移してゆっくり読書を楽しもうと店を後にする。

どんなことにも意味がある、そんな綺麗事は言わないけれど、深みが増すようなことは、あるのかもしれない。


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