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最強の家庭料理を求めて。

イタリアが気になって

イタリアについての本を3冊読んだ。
きっと、あなたもイタリアが好きになる。

1.『最後はなぜかうまくいくイタリア人』

イタリアという国がどうして魅力的で、惹かれるのか。その理由が少しわかったような気がする。なぜ時間にルーズなのか、なぜフェラーリが生まれたのか、なぜイタリア移民が世界中にいるのか、なぜサッカーが人気なのか。イタリアの国民性にそのヒントが隠されていた。

ダメもとで知り合いになんでも頼む
計画は立てなくても、最後はなんとかする
目標達成ではなく、その過程を楽しむ
実用性より、好きや美しさを求める
食卓は問題を解決する場である
地方ごとに性格の色がある
マンマが家庭の中心人物

なんとかなる精神で、全力で目の前のことを楽しみ、家族を愛し、食事の時間のコミュニケーションを大切にする。イタリア人って最高じゃないか。暮らしたら不便に思うこともあるんだろうけれど、そんなイタリアンLifeを感じてみたい。と思った。

2.『イタリア料理のアイデンティティ』

イタリア料理がどのようにして、今のような形になったのか。イタリア的食文化は、都市と都市のネットワークが発達していたからこそ生まれた。都市部の市民が、農村部の生産物を集め、都市の名前をつけて、他の地域と取引する。

ヨーロッパでは主(メインディッシュ)をもとにコース料理をアレンジする。しかし、イタリア料理ではprimo piatto(前菜の後に食べるパスタ・スープ・リゾット)とsecondo piatto(その後に食べる肉や魚料理)と、メイン料理が2回出てくる。これもイタリア特有の食事形態だろう。

バリエーションに富み、部分的に作り方の異なるレシピが無数に存在するイタリア料理。それは何世紀にもわたって産物やレシピ、知識を共有し、取り交わしてきた結果、各地の多様性を分かち合うのを基礎にして成り立つ国の伝統まで作り上げた、都市と郷土の料理でもある。

『イタリア料理のアイデンティティ』より

王室に仕えていた料理人が発展させたフランス料理とは違い、イタリア料理は庶民の文化とエリートの文化の融合が特徴だろう。それぞれの土地に食のアイデンティティがあり、料理の《地方分権化》が進んでいった。文化的伝統が中央に集中していないのがイタリアの良さかもしれない。

しかし、政治によって恣意的に定められた県や州のアイデンティティが加えられ、地勢によって細分化された料理の姿を変えてしまった。(明治政府の廃藩置県、のような感じ?)けれども、数年経ってしまえば、州自体が食文化に関する新しい地図と新たな感覚を生み出している。

イタリア人のアイデンティティとは
"イタリア料理を食べていること"
なのかもしれない
と思った。

家庭料理は民主的なものであり、同時に権威的なものである。

『イタリア料理のアイデンティティ』より

イタリアではそれぞれの家庭に、それぞれのオリジナルレシピが存在する。日本の家庭料理ってなんなのだろうね。Cook Doは家庭の味なのだろうか。

3.『ねじ曲げられた「イタリア料理」』

イタリア料理といえば、パスタとピッツァ。パスタだったら王道はトマトソース、ピッツァはナポリのマルゲリータ。それが常識だと思っていた。

トマトソースは、イタリアの「伝統料理」ではない
ピッツァは、アメリカからやってきた
「パスタ」は「麺類」にあらず

トマトは最初、一部の高貴な人々の間で使われた「媚薬」だったらしい。(チョコレートの起源に似ている。)スペインのコンキスタドールがアメリカからヨーロッパにトマト料理を持ってきたのが始まりで、徐々にトマトが貧しい人たちのなかで食べられるようになる。「チリオの皮むきトマト缶」が発売され、やっとこさトマトがイタリアの象徴的存在になったよう。

株式会社 ニップン HP より

まとめ

イタリア料理こそが、最強の家庭料理。

(noteの不具合でamazonリンクが貼れず、楽天ブックスにて紹介しました)



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