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パラダイス2/3

黒く焼けた肌、ゆか姉が動く度に小さな頭の上でみじかく整えられた黒い髪が風に揺れた。
「公園まで競争、負けた方がアイスおごりね」
ガリガリにやせた細い手足が描く美しいスライド、小さく華奢なからだが生温い夏の空気を切り裂いていく。
どんどん遠く離れて行くゆか姉の背中を僕はおいかける。置いてけぼりにされたくなくて、追いつきたくて、必至になっておいかける。
おいかける。
おいかける。
公園で待っていたゆか姉に追いついて整わない呼吸で足下に座り込む僕の頭をゆか姉の細くて黒い枯れ枝みたいな腕ががしがしとなでた。
見上げると夏の日差しのなか眩しいくらい無邪気なゆか姉の笑顔。
全力疾走の疲れも忘れて僕も笑い返す。

失われてしまった楽園のイメージ。
あの夏の日は
僕が勝手に妄想したまぼろしなのだろうか。

僕の部屋の窓からゆか姉の部屋の窓が見える。明かりは消えたままでまだ帰ってはいないのだろう。
最近では家に帰らない事の方が多いみたいだ。


いつも日が暮れるまで夢中になって遊んでいた。小さい僕にはよく分からなかったけど、ゆか姉はずっと本当は家に帰りたくなかったのかもしれない。
夜の仕事をしていたゆか姉の母親はいつも男を家に連れ込んでいたし
何度か会った事があるその男達は例外無く昼まっから酒の匂いを振りまいていて、まだ子供だった僕から見てもまともな大人には見えなかった。

ゆか姉がときどきつけていたあざは本当に転んで出来たものだったんだろうか
僕は何も知らないこどもだった。


「母親みたいにはなりたくない」

そういっていた彼女自身がかつての母親のように僕たちの住む小さな田舎町に下らないゴシップを提供しつづけてる

「お前の幼馴染みってさ、金出せば誰とでもやるんだろ?」

初めて抱く真っ黒な気持ち。
絶望と殺意。
何が行けなかったんだろう。
どこかで何かが決定的に間違ってしまった。


僕は男の前で服を脱ぐゆか姉を想像し右手を動かす。
いやらしい雑誌のあられもない格好をする女の顔を頭のなかでゆか姉の顔にすげかえる。
記憶の中にある男の子みたいに華奢な体と僕の知らない成長したゆか姉の女性の体。
僕が子供だっただけで、楽園なんか本当はどこにもなかったのかもしれない。
こんなにもたやすくくだらない欲望がかけがえのないはずの思い出を飲み込んでいく。


「わたしねいつか遠くに行くんだ」

沈みかける夕日に染まった真っ赤な顔で無理してはしゃぐみたいにゆか姉は言った。

「遠くって?」


「ここじゃないどこか」


「遠くに行ったらもう会えない?」
不安になって僕は尋ねる。

「たぶんね」


「やだ。ゆか姉どこにも行かないでよ」
僕はほとんど泣き出しそうだった。

「じゃあさ、アキも一緒に行く」

「行く。僕も」


「じゃあ約束ね」
そういってゆか姉は天使みたいにニッコリとほほ笑む。

遠い記憶の中の無邪気に笑うゆか姉と、今日コンビニで僕をにらみ付けた僕の知らないゆか姉。
頭の中で交錯して、僕は耐えきれずに白い欲望を放出する。
力なく机の上に倒れ込み窓の方を見る。ゆか姉の部屋は相変わらず真っ暗だった。

違うんだ。

誰に言い訳するでもなく小さく呟いてみる

あの日交わした約束をゆか姉は覚えているんだろうか?
約束を守る資格が僕にまだあるんだろうか。


机にうつぶせた頭をゆっくりと持ち上げる。
そのまま力を抜くと僕の頭は重力に絡めとられ机の上に叩き付けられる。
ガツン

違うんだ

ガツン

違うんだ

ガツン

違うんだ
違うんだ違うんだ違うんだ違うんだ違うんだ違うんだ違うんだ違うんだ違うんだ違うんだ違うんだ違うんだ違うんだ違うんだ違うんだ違うんだ違うんだ違うんだ違うんだ違うんだ違うんだ違うんだ。

僕は自分の頭を机にたたき続ける。何度も何度も。繰り返し。


違うんだ。

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