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冷や汗ダラダラ。頻繁に繰り返される「裸で外を歩いている」悪夢。

毎日、悪夢のオンパレードなのだが、その中でも何度も何度も登場する一つのパターンは「裸で外を歩いている」悪夢だ。いろいろバリエーションがあって、お風呂に入っていて、服を着ないで歩いてしまったとか、表彰式のように壇上に上がるのにズボンをはいていなかったとか、激しい羞恥心が夢の特徴になっている。

調べてみると、裸で歩いている夢を見る人は少なくないようだ。

今日の夢は、友達と連れ立って外を歩いているのだが、自分が丸裸であることに気づくというもの。最初は何も感じていなかったけれど、いつの間にか、街中で自分だけが裸であることに気づき、いたたまれなくなる。

幸い、上着はあったので、上だけ着たのだが、下が丸出し・・というのは、まるで変質者ではないか。やがて向かいから一団の人たちが歩いてくる。私はどうしたらよいのだろう。いやな夢だなぁ。

羞恥心に焦点を合わせる

裸の夢は常に「羞恥心」と関係している。恥ずかしい、誰にも見せたくない、どうしたらこの場から逃げられるだろうかという感情だ。隠したいけれど、隠せるもの、隠れる場所がないというバリエーションが多い。

服は「外見・振る舞い」を表しているので、裸の自分は「ありのままの自分」ということになる。素の自分を表現したいものの、それを表現するとどうなるだろうかという恐れがそこにあるのだろうか。夢の中に出てくる他者の反応も面白い。横にいる友達は、こちらが裸であることに無頓着だ。また、通りすがりの人も、この異様な姿に目を留めない。

ただ、自分が「この姿は変に見えないだろうか」と羞恥心にかられているのだ。「見られたらどうしよう」と。しかし、夢の中ではすでに見られていることにも気づいている。結局、ありのままの自分自身を表現したいという気持ちと、そうすることへの恐れのはざまにいるわけだが、同時に、たとえ、自分が自分を表現したところで誰も気に留めていないことにも気づいているのかもしれない。

そうだとすると、障害は自分自身にのみあるのだ。とか、こんなことを考えているうちに、すべての感覚がなくなってしまい、裸で街を練り歩いたりしたら本当に困るなぁ。

(追記)

あとで、気がついたのだが、実はこの日、ロディオラを飲み忘れたのだった。ロディオラを飲み忘れるのは久しぶり。やはり、ロディオラと悪夢に相関があるのではないかという確信が強まりつつある。


大人のADHDグレーゾーンの片隅でひっそりと生活しています。メンタルを強くするために、睡眠至上主義・糖質制限プロテイン生活で生きています。プチkindle作家です(出品一覧:https://amzn.to/3oOl8tq