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今日いまの思い

関東大震災のあの日。
強い揺れの後、千葉市の高台から東京が真っ赤な火に染まっているのを見ていたと言う。

会ったこともない私の祖母が話していた、と叔母から聞いたことがある。
父を出産するひと月前の事だったというので、さぞかし怖かったことであろう。

その東京に、今、私は住んでいる。
 
正月元旦。
新年は静かにスタートした。

久しぶりに、福島県に住む知人一家が遊びに来てくれた。

夕方4時過ぎ。
年末に腕を振るって作った正月料理を、ワイワイとにぎやかに食べていたその時、東京も大きく揺れた。
ずいぶんと長くいやな感じの揺れだった。
 
直ぐに報道番組を見て、大きな揺れと津波が能登半島を襲ったと知った。その時は、これ程まで被害が大きくなるとは誰も思っていなかった。
 
同時に福島から来た一家も、東日本大震災に思いを巡らせ、震災当時の話題になって、皆一様に心臓がドキドキしていた。
 
落ち着いてあたりを見まわすと、小学生女児の姿が見えない。探すと、どうやらテーブルの下にしっかり避難していた。

真剣な顔で落ち着いた行動だ。
 
小学校で相当訓練されているのだな・・・と、改めて感心しきった。
大人たちは何の対応も取れなかったというのに・・・。
 
3.11の東日本大震災後に、あれほど災害対策を検討し家庭でも保存用の水や食料品、簡易トイレ他防災グッズを準備したのに、もうすっかり活用できない状況の我が家だ。
そして地域の防災対策もよく理解できていなかった。
 
もう一度、活用できる防災対策を見直そうと真剣に思う。
 
被害拡大の情報が流れてくるにつれて知ったのは、能登半島地震では、数千年に一度の確率で起きた地殻変動による地震と、地形の大きな変形が確認されたという。
その数千年に一度のその日に遭遇してしまったのか・・・。

被災された方々には、なんといったらよいのか、言葉がどうしても見つからない。

繰り返し報道で聞こえてくる「一人じゃないよ、ひとりじゃない、皆いるからね!」の声掛けに、人々の強い絆と温かさを感じる。

本当にそう思う。

辛い避難生活、復興には時間が必要だ。

どうか助かった命をこれ以上亡くさないでほしい。
心から願うばかりだ。

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