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降霊の箱庭 ~第八話~

<前話>








「それじゃあ、また」
朝のHRホームルームが始まる直前。
紙に書いた連絡先を交換し、昼休みに再び集まる約束をした後で、達季たつきれんとまどかは解散した。
達季が何か話そうとしていたのが気になったが、残念ながらそれを聞き出す時間はなかった。
「あまり首を突っ込みすぎるんじゃないよ~」
少し見せた真面目な雰囲気はどこへやら、神山みわやまはひらひらと手を振って職員室へ去っていった。相変わらず飄々ひょうひょうとして、掴みどころのない教師だ。まどかにとってはやりにくい人物である。


一時間目、二時間目と授業は進む。
まどかはてんで集中できなかった。板書を見てノートをとっているフリこそしているが、書かれているのは授業の内容ではなく、この謎めいた『こっくりさん事件』に関する考察だった。

最初の被害者・市川いちかわ奈々絵ななえは、血を吐いて死んだ。
第二の被害者・遠藤えんどうは、心臓発作で死んだ。
考察しやすいのは、蓮が間接的に関わった、せきと遠藤の事件の方だ。鍵となるのは、神山が語った古栗こくり俊一しゅんいちという生徒だ。こっくりさん……いや『古栗さん』が、同じく嫌がらせの被害に遭っていた関に同調し、その呪詛じゅそを引き受けて遠藤を殺した。古栗の亡くなり方が心臓発作だった点からも、遠藤の死に様は辻褄つじつまが合う。
問題は市川奈々絵の方だ。あまりにもデータが少ない。「友人と空き教室でこっくりさんをしていたら、急に血を吐いて死んだらしい」という、別の生徒が話している噂を又聞きしたくらいである。奇しくも達季がその被害者と同じクラスらしいので、何かキッカケを作って、その市川の友人からしっかり話を聞きたいところである。

――そう上手くいくだろうか。

懸念はある。まず間違いなく警戒されるだろう。下手に教師に聞かれようものなら、不謹慎だと怒られる可能性もある。何よりまどかが、初めて顔を合わせる下級生と上手く接せられる自信がなかった。


まどかは、人見知りだ。
いや、人見知りになった。




小学生の頃は違った。読書が好きなのは変わらないが、それと同じくらいクラスメイトとの交流も好きだった。よくお喋りし、体育館でドッジボールに参加し、係の仕事にも積極的に立候補した。
「お人形みたいに可愛い、クラスの中心人物」。それが小学生時代のまどかの評価だった。
善性を信じていた。希望を信じていた。ハッピーエンドの物語が好きだった。
それがくつがえったのは、中学生になってしばらく経った頃だった。


忘れ物を取りに帰った、放課後の教室で。
女子生徒数名がまどかの悪口で盛り上がっていた。


「シンプルに死んでほしい」
「せんせーに気に入られようとしてんじゃね?」
「アイツの手の挙げ方、今度真似してみよっかな」
下らない、取るに足らない内容。授業中の態度が気に入らないというのだ。
だが思春期特有の、生真面目きまじめな生徒を見下す響きが多分に含まれたその内容は、立ち聞きしてしまったまどかの心を抉るには充分なものだった。
自分の一挙一動に自信がなくなった。
「教室」という箱庭に詰められた生徒の中に、自分への悪意を持った人物がいるという事実は、それだけで喉の辺りをグッと掴まれるような苦しさがあった。
次の日から、まどかは授業中に挙手して発表することができなくなった。
正答が分かっているのに、教師と目が合っているのに、自分を押し殺さねばならないのは辛かった。
「今日は発表しないんですか~?」
「ウチらの話、聞いてたんじゃない? キモっ」
加えて、教室のどこかから聞こえてくるささやき声。

理不尽な悪意だった。
そしてそのような悪意は、世の中にたくさん溢れていた。
知らなかった。特に大した理由もなく、幼子が虫の脚をもぎ取るような気軽さで、他者を傷付けられる者がいるという事実を。気付いた瞬間、まどかの信じていた幸福な世界は一気に色あせた。
 
そうして中学校生活三年間をかけて形成されたのが、今のまどかの性格だ。
友人は作らない。人は信じない。学校行事への参加は最低限に。心を壁でおおって立ち入らせない。変わり者というレッテルを貼られ遠巻きにはされたが、無遠慮に近付かれて踏み荒らされるよりはマシだった。
人形のように可愛らしいまどかは、人形のように無表情になった。




「…………」
バキッ、と力が込められたシャープペンシルの芯が折れて、まどかはハッと我に返った。
ノートの上の考察はすっかり止まっていた。静かに深呼吸して、己を取り戻す。
そうだ。関係者への接触方法はいくらでもある。取っ掛かりは達季に任せ、話を聞き出すのは蓮に任せ、自分はただメモをとる役に徹していればいい。こういうのは適材適所だ。
達季の柔らかな雰囲気は、人当たりがよいから。
蓮の馬鹿正直な性格は、人の警戒心を解かせてしまうから。
――羨ましいな。
まどかは一人、少し寂しい微笑を浮かべた。






四時間目は通常授業のはずだったが変更となり、三年生全員は体育館に集められた。どうやら臨時の学年集会らしい。
ダルい~、と他の生徒の嘆きが聞こえてくる。そこはまどかも同意するところだった。
学年集会は基本的に月一で行われる。服装検査に始まり、学年主任や生徒指導部、進路指導部からのありがたい言葉を聞くというものだ。最近気が緩んでいるだの、最高学年としての自覚を持てだの、来月の学力テストに向けきちんと勉強しろだの、結局は褒められることなどほとんどない。
伝統的で封建的ほうけんてきな校風をよく体現している、とまどかは思う。
だからといって眠気に負ければ叱責しっせきされるのは目に見えているので、今日も生徒たちは、必死で意識を保ちながら説教を聞くのだった。


「今日集まってもらったのは、他でもない。最近学校で噂になっている件について、君たちに忠告するためだ」
体育座りをする生徒の群れの前に進み出たのは、生徒指導部の長谷川はせがわだった。
ぐるりと全体を睨んでから、彼は言った。
「いわゆる、こっくりさんに関することだ」
いきなり渦中かちゅうの単語が飛び出して、まどかは目を見張る。他の生徒も予想外だったのだろう、ざわめきが広がっていく。
「静かに!」
長谷川の一喝で、体育館は水を打ったように静まり返った。
「まさかとは思うが君たち、そんな噂にかまけているんじゃないだろうな? ……確かに四階の空き教室は封鎖されているし、こっくりさんを行った者がいるのも事実だ。今月に入ってから二人の生徒が亡くなったのも、本当のことだ。だが全く偶然のことだ! ましてそれを呪いだ何だとはやし立てるのは、不謹慎にも程がある! 三年生にもなって恥ずかしくないのか!」
ビリビリと窓ガラスが震える。
顔を真っ赤にして怒鳴る長谷川は、この件に対して相当腹に据えかねているようだった。
「そもそも、こっくりさんなど存在しない! あんなものは子どものお遊びだ! そんなことに時間を割く余裕があるなら、一文字でも多く学習を進めなさい!」
きっぱりと、高圧的に、こっくりさんを否定し切った後で。
長谷川はややトーンを落として、別の話を始めた。

「『中学校三年生』と言うから甘えが出るんだ。君たちは来年、もう高校生になっている。冬には受験もある。となれば今の君たちは『高校生の準備期間』『準高校生』と言って差し支えない」
どう考えても差し支えのある内容を、長谷川はさも当然のように語る。

「来週には、卒業生を招いての講演会もある。これをどんな心構えで聞くかだ」
ピシッ、と。
その時、頭上で音が聞こえた。

「ただ漫然と聞くだけでは、何も身にならない。一年後、五年後、十年後の自分を頭に思い浮かべて、その将来に近付くにはどうすればよいのか考える。他人の話ではなく、自分自身の話として聞くんだ」
ピシッ、と再び。
まどかは目だけ動かして上を見る。
太陽の光で体育館の屋根が熱されて、きしんでいるのだろうか?

「そして必ず心に疑問を持ちなさい。全員が質疑応答で発表しろとはいわないが、時間いっぱいになるほどの質問が出ることを期待している。『はてな?』と疑問を抱くことこそが、学びの第一歩だ」
ピシ、メキッ。
明らかに大きな音が鳴った。
生徒のほとんどが一斉に顔を上げる。

「……いい加減にしろ!」
長谷川の怒りがまた爆発した。
「音がどうした! そんなことだから腑抜ふぬけていると、」




耳をつんざく轟音が響いた。
ガシャァン!! と落下してきたのは、天井に取り付けられた巨大な照明の一つだった。




まどかは確かに聞いた。
ガラスが割れる音に混じって、何か濡れた音と、砕ける音を。




体育館にいる全員が、落ちてきた照明、その下にあるモノを見ていた。
肉の塊。
それは痙攣けいれんすらせずに、びたりと床の上に広がっていた。びゅうびゅうと噴き出す血が、みるみる水溜まりを作っていく。
肉塊は、先程まで偉そうに演説していた長谷川の服を着ていた。
重さのある照明は位置エネルギーに任せて、長谷川の腹から上を十数センチメートルの薄さにまで完全に叩き潰していた。直撃を免れた下半身も、衝撃が伝わったのか、ぐにゃんとデタラメな方向に折れ曲がっていた。
赤い、赤い塊。
鼻を突くにおいが漂う。
大量の血液と、腹から溢れ出た内臓と、さらにその中の未消化物と、割れた頭蓋骨の間から覗いた脳漿のうしょう、それら全てがぐちゃぐちゃにミックスされた臭いだった。
何かがこちらに転がってくる。
頭部に加わった圧力で、ぬるんと飛び出した眼球だった。




しばしの静寂。
そして。
「……きゃぁああああああああああああああああー!!」
女子生徒の悲鳴が発されると同時に、体育館は狂乱に包まれた。
無我夢中で逃げ出す者。卒倒する者。耐え切れず嘔吐する者。顔に飛んできた血飛沫ちしぶきを拭うこともせず、呆然と座り込む者。「落ち着け!」「ガラスで怪我をした者はいないか!」と呼び掛けられる教師ですら、ほんの一握りしか残っていなかった。
「…………!」
まどかはふらりとその場で立ち上がる。
くさい。気持ち悪い。鼻と口をハンカチで覆う。転がった眼球と目が合ったような気がして、急いで顔をそむける。

「……こっくりさんだ」
その時。
どこからか呟きが聞こえた。
「ざまぁみろ」

ハッ、と向き直るが、逃げ惑う生徒たちの中から声の主を見付け出すことはできなかった。
――早く……。
上手く回らない思考の中で。
――早く、どうにかしないと……。
まどかはぼうっと、そう思った。






<次話>


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