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降霊の箱庭 ~第五話~

<前話>








また夜がやって来た。

ベッドの上で布団にくるまって、鈴木すずきゆうはじっと耐えていた。






あの日……空き教室でこっくりさんをした日から、一体何日が経ったのだろう。学校に行かず家に引き籠りっぱなしで、日付や曜日感覚はとうに失われていた。
いやそもそも、そんなことを気にする余裕など、今のゆうには全くなかった。
二つの「恐怖」にさいなまれていたからだ。


一つは、非難されるかもしれない恐怖。
奈々絵ななえの通夜にも葬式にも、結局出席することができなかった。できるはずがない。奈々絵の死に様について、何故こっくりさんなど実行したかについて、先方の両親から追及されるかもしれないのが怖かった。
もちろん、こっくりさんをやろうと言い出したのは奈々絵だ。
極論、文美ふみとゆうは巻き込まれたのだ。
それでもやはり止めるべきだった。止めていたなら、友情にヒビは入ったかもしれないが、少なくとも奈々絵は死なずに済んだのだから。

――ごめんなさい、奈々絵ちゃん。

文美からは「お通夜で焼香しょうこうだけしてきた」と短いメッセージが届いた。
その、自ら戦中に飛び込んでいくような勇気ある行動に、ゆうは驚愕きょうがくし、同時に羨ましくも思った。
ああ、文美はちゃんと奈々絵に別れを告げられたのだ、と。
やはり顔を出すべきだった。祭壇に飾られているであろう奈々絵の遺影と、幼い頃から変わらない満面の笑みと、きちんと対峙たいじしておくべきだった。そうすれば記憶の中の奈々絵は、笑顔の状態で保存される。しかし最後の挨拶から逃げてしまった自分には、苦しみもがいて死んだ壮絶な表情の印象しか残らないのだ。
文美のことだ、きっと学校にも休まず行っているのだろう。
クラス中の好奇の視線を一身に集めながら。
そう、ゆうは文美をスケープゴートにしたのだ。

――ごめんなさい、文美ちゃん。

ゆうはそもそも、自分のことがあまり好きではない。ここ数日は大嫌いだった。
卑怯な自分。臆病な自分。剥がれた爪を病院でてもらうため、たった一度外出した時でさえ、見知った顔に出くわすのではとビクビクした。
怖かった。
そして、情けなかった。
ひたすら心の中で自分を罰しながら、ゆうは一人、安全圏に籠っていた。




……いや。
「安全圏」ではない。
それは全く正しくない。




もう一つ、謎の恐怖がゆうを苛んでいた。
視線を感じるのだ・・・・・・・・

例えば、家族と夕食をとっている時、天井から。
例えば、風呂で目を閉じて頭を洗っている時、背後から。
例えば、自室で寝ようとする時、クローゼットの隙間から。

視られている。
無言で無機質な何かから、じーっと。

じーっと。

最初は気のせいだと思った。奈々絵の死に精神がやられて、僅かなことにも敏感になっているのだと、そう考えて納得しようとした。
だが無駄だった。本当に息遣いすら感じるような濃密な気配をもって、その視線はこちらを見てくるのだから。
「……ほら、何もいないよ」
娘の怯えを察知するたび、両親はクローゼットや扉を開けて、その先に何もないことを示してくれた。
「可哀想に。夜はお母さんと一緒に寝てもいいのよ?」
「お父さんと一緒でもいいぞ~」
優しい母と愉快な父。
二人といれば恐怖はやわらぐが、同時にチクリと良心も痛む。
娘とその幼馴染に何かがあったことは悟っているだろうに、それを深く詮索するような真似はしない。いつか娘が自分から話してくれるだろうと、付かず離れず見守ってくれているのだ。その真綿のような優しさが、今のゆうにはとげだった。

だからゆうは引き籠る。
自室で布団にくるまって、じっと息を潜めて。


「……………………」
部屋の隙間という隙間をガムテープで塞いでも、視線と気配は消えなかった。
ゆうはすっかり夜が怖くなっていた。朝だろうが昼だろうが視線は感じるのだが、それでも「明るさ」という安心感は大きいものだ。夜はいけない。たとえ電気を点けていても、窓の外から漂ってくる夜の気配が、部屋の隅に落ちた僅かな影を増幅させる。
一日千秋いちにちせんしゅうという言葉がある。ゆうはまさに一晩を千の時間に感じながら、遠い朝を待っていた。
「……………………」
視られている。
今もそう、視られている。

おそらく、こっくりさんに。

儀式が中途半端に終わったあの日から、こっくりさんは帰っていないのだ。
帰ってくれずにいてきたこっくりさんを帰す方法など、ゆうは知らない。もう一度こっくりさんをすればよいのだろうか? そんな勇気などあるはずがない。
――どうしよう。
何もできないまま、ゆうは今日も視線に耐える。
――どうしよう。
このままだと、本格的に精神がおかしくなってしまう。
――どうしよう。
いやあるいはそれこそが、こっくりさんの目的なのだろうか?
――どう、すれば……。
その時。


ピローン、と音が鳴った。


「ひっ!」
心臓が飛び上がった。
音の発生源は、ベッドから少し離れたところにある机の上の、スマートフォンだった。
画面がしばし点灯して、消える。遠目に見たところ、メッセージアプリの通知のようだ。
「な、なぁんだ……」
やはり必要以上に敏感になっている。ゆうはひとまず安心し、布団から這い出して机に向かった。
とん、と軽く画面をタッチして、通知を確認する。
中学校からの緊急連絡のよ

カツーン!


十円玉が落ちてきて、画面の上で跳ねた。




ピシッ、と画面にヒビが入り、通知の文字が歪んだ。
鼻先をかすめるようにして落ちてきた十円玉。跳ねて飛んでいき、背後の床でチャリンチャリンと転がる音がする。
その場で固まるしかなかった。
何となく察していた。今、上を見ても、その天井は何の変哲もないであろうと。
十円玉はどこからともなく現れ、スマホの上に落下したのだ。
「重要連絡」と件名の付いた通知が、再び消える。白く線の走った画面は、まるでヒビ割れ剥がれた爪のようだった。
「…………」
ゆうは、暗くなった画面をじっと見る。
別に見たいわけではない。ただスマホを覗き込んだ姿勢から固まって、何もできないだけである。
チカチカ、と頭上の蛍光灯が点滅する。
ゆうはそこに目をやらない。
何度も言うが、天井に注意を払う必要など全くない。
視線は。気配は。


自分が先程までくるまっていた布団の中からするのだから。


「…………!」
ひゅーっ、と音がする。
自分の喉が鳴る音だった。
何もできないまま、自分の左側、ベッドの中からの視線にさらされる。
そこに確かに何か、いる・・
「…………!」
ひゅーっと、喉が。
じーっと、視線が。
おそろしい速さで脈が打っている。
背中を伝う汗が止まらない。なのに指先は氷のように冷たい。
怖い。誰か。助けて。両親を呼ぼうにも、れたような息が吐き出されるだけ。
そのうち自分の目が、じわりじわりと左方へ向き始めた。
「…………!」
――嫌! 嫌!
目の動きは止まらない。
完全に心と体が乖離かいりしている。
見たくないと心は叫ぶのに、この状況にもう耐えられないと、体は勝手に解決を求める。
見てしまえば楽になると。
「…………!」
――嫌! 助けて!
油の切れた機械のような緩慢さで、ぎぎ、ぎぎ、と目が。
向いて。
向き切って。




布団の中に。






目と口を黒くぽっかりと開けたニンゲンが。






戦慄。
そして、悲鳴。






<次話>


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