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友人の最愛の人の死を悼んで

 生きていることは生々しい。

 誰にも迷惑をかけず、清く正しく、美しく生きることなどできやしない。人知れず誰かを傷つけ、誰かに傷つけられ、誰かに思いを寄せ、誰かに裏切られ、心は常に揺れている。

 人間は心の器。

 どこか他の生物とは違っている。人を愛するのに言葉を必要とするし、言葉だけでは完結もしない。ただ肉欲のまま、本能のまま、あなたを求められるのなら、どれだけ清く正しく、美しく生きることができるだろうか。
 器であるはずのこの身体は、どこまでも自由にはなれない。肉欲に屈し、目の前の果実をもぎ取ることを心が拒む。器が求めても心がそれを許さない。

 生きている器は心と分離できない。

 愛するものを器ごと永遠に失った君の心は、灰となった器を抱いて涙を流す。僕は言葉を捜し、痛みを癒す方法を探り、無力であることを知り、清く正しく、美しく生きたのであろう失われた魂の偉大さに屈服する。

 言葉は万能ではない。

 もしも差し伸べたこの手にあなたがすがる事があるのなら、そこに言葉などいらないのだろう。でも、僕には言葉を尽くすしかないのだから、それでも言葉を捜し、心に触れ、流れる涙を少しの間だけでも止められるように心を砕く。清く正しく、美しく。

 孤独を傍らに生きる。

 生きていることは生々しい。生を失ってもなお、記憶にこびり付いた温もりはあなたを孤独にするのだろう。孤独を遠ざけようとした僕の言葉にも、あなたは孤独であることを思い出さずにはいられない。
 僕は手探りに言葉を紡ぎ、傷口を塞げなくとも、少しでも眠れるようにと、少しでも笑えるようにと、少しでも悲しみから遠ざけようと努力する。
 でも、孤独を傍らに生きるしかないあなたには、どんな優しさも残酷だと僕は知っている。

 無力な僕はそれでも言葉を紡ぐ。

 誰にも迷惑をかけず、清く正しく、美しく生きるなんてできやしない。こらえなくてもいい涙は、流しきるしかない。頼れるもの、寄りかかれるものにしがみついて、それでも生きていかなければならないのだから。あなたと、逝ってしまったあの人の間に生まれた命は、やがて命をつなぎ、もう一度あの人とあなたを結びつける糸となる。
 コロナによって見ることが叶わなかった我が子の中学の入学式。あの人の無念は計り知れず、それを思うあなたの心の痛みに、僕は無力なのだと知っていてなお、僕は言葉を紡ぎ、あなたと出会えた遠い、遠い縁を、特別なことだと信じて疑わない。
 まだ高校生だった僕らは、出会ってそうそうにすれ違ったり、寄り添ったりしながら、別々の道を歩み、こうしてまた言葉を交わすようになったのには意味がある。
 あの頃、僕は差し伸べられた手に素直に応えることができずにいた。自分でなんでもできると奢っていた。そんな僕を叱ってくれたことを覚えているかい?
 だから今度は僕の番なのかもしれない。今はまだ、できないのだと思う。それでいいのだと思う。だけど、いつか歩き出さなきゃならないときに、それができていないときは、僕は遠慮なしにあなたを叱りに行く。

 生きるってことは、生々しくて、清く正しく、美しくなんてできやしない。でもだからこそ、生きていられるうちには、そうあろうと、清く正しく、美しくあろうともがきながら、生々しさを認めながら生きることに執着しなきゃならないのだと思う。

 ならばもう、残されたのではなく、託されたのだと思って生きよう。

 ならばもう、失ったのではなく、残してくれたのだと受け止めて生きよう。

 あなたがそう思えないとき、僕は言葉を尽くしてあなたにそれを伝えよう。

 あなたがあの時、そうしてくれたように。

 僕はあなたに言葉を送る。

 悲しいときは泣けばいい。思い出したら泣けばいい。寂しくなったら泣けばいい。

 僕はあなたに言葉を送る。

 苦しいときは頼ればいい。辛いときには吐き出せばいい。嫌なときには怒ればいい。感情を殺すな。遠慮をするな。ずうずうしく生きろ。生きてまた、笑って話せるときまで。

 もう歳をとることがなくなったその人の誕生日が来るたびに、思い出の場所を通るたびに、思い出の音楽が流れるたびに、涙できるのはあなたの権利なのだと。

『頼られないのは、それはそれで嫌なものなのよ。一人で抱え込まないで』

 あなたがあの時、そう言ってくれたように、僕は何度でも言葉を重ねる。

 痛みを分かち合えなくとも、悲しみを分かち合えなくとも、苦しみを癒せなくとも、どうか頼ることを忘れないでいて欲しい。

 僕が語りかける言葉の、ほんの一部でもいいから、あなたの気分を数時間、数分の間でも変えることができるのであれば、僕はいつだってそうする。

 眠れない夜、枕を涙でぬらしている君を思う。

 その横ですやすやと眠っているお子さんのことを思う。

 どんな夢を見ているのか。

 亡き人の残り香をずっと探している君を思う。

 どんなに思っても、思ってみても、僕はあなたのように悲しめない。

 それがとても、もどかしい。

 言葉は万能ではないと知りながらも、言葉をかけるしかない僕がもどかしい。

 あとは、時に委ねるしかないと、わかってしまうことが、本当にもどかしい。

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