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拝啓 ひまわりのきみ

拝啓 ひまわりのきみ

 あいにくの悪天候も桜を散らすことはできても、今日という記念すべき日を邪魔するに能わず。大変、有意義な時間を過ごせたことを何に感謝をすべきか。
 それは晴れ男という損なのか得なのか測りずらい星の下に生を受けた我が運命にするよりも、ひまわりのきみなのだろうと思い感謝の意をここに述べておきたい。

 以前よりひまわりのきみのエッセイ、テーマや切り口がということではなく、日常の目に届くところ、手に届くところに着眼して書き続けているというスタイルにすこぶる関心をしており、これは一度拝顔して、あれやこれやとお話ができたのなら最近停滞していた小生の筆も、少しは進むようになるやもしれぬと淡い期待を抱いて出向いたのですが、予想以上の成果があったことについてお礼の書簡をこうして書いております。

 さて、美術館というのは一人でじっくりと愉しむものだという小生の作法は、これまでの経験から学び、たどり着いた流儀であったのだが、それについて改めるべきかを思案しなければならないと思う次第です。

 北欧の文化についてはあまり明るくはなく、オーディンやロキ、ニーベルンゲンといった神話やバイキング、水産物、ウインタースポーツといった断片的で雑多な知識しか持ち合わせなかったものの、19世紀に活躍した芸術家たちが絵を描くという行為を通して彼らが観て、何を感じ、何を思い、願い、憂いていたのかを想像しながら美術館を歩き回るのはとても貴重な体験でありました。
 しかしそれ以上に誰かと意見を交換できる楽しさは、今回最も喜ぶべき新たな発見であったと小生は思うのです。

 ひっきょう『何を食べるかよりも誰と食べるか』、『何をするかより、誰とするか』ということなのだろうが、そういうことは必ずしもすべてに当てはまるものではないと考えておりました。

 なぜなら小生には、誰が共に絵画を愉しむのに適任であるかについての明確な基準を見いだせず、幾度かの機会はあったもののことごとく悪いくじを立て続けに引いてしまったので、美術館や映画は一人で見るべしと決めつるしかなかった。

 ひまわりのきみが興奮のあまり、「すごい、すごい」と大きな声をあげながら食い入るように絵画を楽しんでいる姿は、どこか微笑ましく思えた。
 そのあと食事をご一緒した際も、砂漠で何日も水を飲んでいない旅人の喉の渇きが伝わるような勢いでオムライスを食べていたのも小生には微笑ましく、また羨ましく思えた。

 小生は今、ひまわりのきみが「何故ひまわりなのか」という無意味な禅問答をすることをきっかけに、なぜ筆をとり、つらつらと物語を紡ぐのかについて、自分を見つめなおす機会を得たことにすこぶる喜んでいる。

 他にもいろいろなことがあった一日でしたが、その場で言い忘れてしまった感謝の気持ちをどうか受け取っていただきたい。
 願わくばひまわりのきみにとって、どんな一日であったのか、北欧の芸術、そして何よりきみが好きなゴッホの『ひまわり』について、思うことがあるのならば、小生に書簡にて知らせてはもらえないだろうか。

 またいつの日か

                             敬具

 追伸
 ビールにトマトジュースを混ぜるレッドアイの配合は1:1がオススメ

 めけめけ

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