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『君たちはどう生きるか』という映画体験

 忘れていた感覚を思い出させてくれたなぁというのが最初の感想でした。

 映画『君たちはどう生きるか』が7月14日に公開されました。宮崎駿監督にの2013年公開『風立ちぬ』から10年ぶりの作品ということで、興行成績やまったく広告宣伝を行わないという宣伝方法が話題を呼び、公開後はちょっとしたお祭りになっているようです。

 僕はできる限り情報をシャットアウトして吉野 源三郎 (著)『君たちはどう生きるか』 (岩波文庫)の概要だけ頭に入れて18日の最終上映を観に行ってきました。

 映画をまだ観ていない人はできればこの書籍を読むか、概要だけでも頭に入れておくだけで映画のとっつきやすさはがらりと変わると思うので、そちらをぜひ

 ちなみに僕が参照したのはこちら

 映画を見ている間の「このあと何が起きるんだろう」という緊張感は子どもの頃に新聞の広告欄だけで映画を観に行った時の感覚に似ていて、それがまず楽しかった。

 しかしそれに置いてけぼりを食らってしまった人も少なくないのかなぁ。映画を見るのって昔はレコードのジャケ買いみたいな感覚があって、町の中の看板やポスター、新聞の広告だけの情報を頼りに観に行ったものです。もちろんそれで期待を裏切られたことも多々ありますが、ですから……映画なんて観てみないとわからないっていうのが普通の感覚だったんですよねぇ。

 まぁ、これは大昔、しかも中学生ぐらいになってくるとテレビCMや映画雑誌なんかを読んである程度前情報を吟味して観に行くようになるのですがね。『風の谷のナウシカ』を映画の初日に徹夜で並んで観に行ったあの頃の話を今しても仕方がないのですが、今とはワクワク感の桁が違っていたというのは、ひとつここに書き残しておきたいです。

 さて、そんなのはある意味広告宣伝のテクニカルなことでもあるのですが、しかしながらそれだけではなく、この映画をどう宣伝していいのかと言えば、なかなか正解が見つからなかったというのもあるのかもと思いました。

 なぜならこの映画を言語化して人に「観てみたい」と思わせるような言葉を探すことは困難であるし、また、誤用、誤解を招く可能性がとても高い作品でもあるかと思います。観た後の感想が「よくわからない」となる人も少なくないと聞いています。そしてそれはそうだろうと僕は納得してしまう。

 僕は満足でした。

 何がどう満足だったかと言えば、ジブリというより宮崎アニメの僕が好きな部分は期待以上に見せてもらったし、映画を見終わったときの余韻がとても心地よかったから。
 僕が見たかったのは『カリオストロの城』で言えば、日本の警官隊とカリオストロの衛兵が狭い通路でもみくちゃになって、狭いドアから無理やり”ぐにゅぅっっ”て人がゴム人形のようにうごめいているようなシーン。そして追いかけっこ、何かが飛んでいる爽快感みたいなものです。
 そして心地の良い余韻というのは「あれは何だったんだろう」というセリフや描写にきっと何か意味があるに違いないと考える時間を十分に与えてくれる置き土産であったり宿題。

 そのバランスに満足をしつつ、あれ?っと思うところもいくつかあって、ああ、今回は全部に宮崎監督が手や口を出していないんだなぁというところにちょっとしたさみしさと隣り合わせの安心がありました。

 これまでの作品って細部にわたって人に任せたものの結局自分で全部監督が手や口を出して出来上がったクオリティというのがよくも悪くもあって、それが製作期間、ひいては予算に大きな負担をかけていたのだろうと推察します。エンドロール、なんか面白かった。

 いろんな人の考察が飛び交う中、例えばアオサギは誰のことを示唆しているのか、或いは13個の積み木はなんだったのか。そういうこともまったく無意味とは思いませんが、大事なことはまずは作品に没入できるかどうかであって、それには著書『君たちはどう生きるか』の知識は必須なのだと思います。
 これに関しては、なんで映画を見るのにそんな予習で知識を入れないとダメなんだって話もありますが、SF映画を見るのに宇宙に関する知識、たとえば宇宙の大きさ、重力などの物理法則がわからないとそもそも楽しめるはずもないのと同じというのは言い過ぎかもしれませんが、映画のタイトルにある著作がなっているというのであれば、それは知っておいたほうがいいという制作者のメッセージでもあるわけで、それを無視していくのはドレスコードを無視してパーティーに出席するようなものなのかぁとうのが僕の映画や音楽といった作品へのアプローチになります。

 とはいうものの僕は前作の『風立ちぬ』を観てはいないのです。劇場で見るのは『もののけ姫』以来。その後の作品も『千と千尋の神隠し』くらいしかまともにみていないので、宮崎アニメを語るほどの映画を観てはいないともいえるのですが、逆に言えば彼がまだいちアニメーターだったころの作品はずっと子どもの頃から慣れ親しんできたわけですから、今更見なくともわかるところはわかるわけですし、彼に影響を受けた作家たちの作品からも宮崎作品をある意味観ているともいえるので、ここではっきりと言わせてもらいますと……。

 これは面白いアニメではないが、素晴らしい作品であり、宮崎駿という人を知るには一番近く、一番難解な映画作品である、と思います。

 この作品の大きな特徴は登場人物におよそ感情移入しずらいようにわざとしているところ。それでも誰かに感情移入できる人はいるでしょうが、これまでの作品と比べると、そこはかなり意図的にやっているので面白味という意味では間違いなくマイナスだと思います。しかしそのマイナスは最適解を求める際に重要な要素であるともいえます。
 またストーリーに欠かせない大きな波、カタルシスみたいなところはありません。しいて言うのであればそれは主人公眞人が劇中で『君たちはどう生きるのか』を読んでいるシーンなのですから、あの本に何が書かれているのかがわからない人にとっては何が起きているのか伝わらない可能性が高いです。

 そのほか、例えば主人公の髪型は戦時中なのに坊主頭でないことからとても裕福な家に育ち、それも軍需産業であるのだから、少年の心にゆがみがある可能性があることに気が付かない人も少なくないでしょう。普通であればそこは劇中で描かれるべきところですが、疎開先で喧嘩を仕掛けられるシーンにそれを説明するようなセリフは一切でてきません。

 それは不親切であると同時に、そこは全部見終わってから読み解ければいいところでもあり、また読み解けなかったとしたら「なんだかわからない」で終わってしまうかもしれない。しかしあえて主人公に感情移入できないようにしていることで、そこが大きな躓きにもならない可能性があります。(僕はそう読み取っていますが制作者の意図など正確に計り知れるはずもない)

 絵を見て感じて考えてほしい。

 それがこの映画のとても重要なことであり、本を読んでその理解をより深めてほしいということも併せて、ひとりの作家の作品を楽しむのであれば、そのバックグランドも理解したほうがより楽しめるに違いないと思える人にはとても興味深い作品なんじゃないだろうか?

 でも、それってエンターテイメントなのか?

 このあたりが僕にとってのこの映画の裏テーマになり、非常に希少な映画体験をさせてもらったという感謝の気持ちで今は満たされています。

 さぁ、こんな文章を読んでいるぐらいなら『君たちはどう生きるか』の概要だけでも読んで映画館に足を運んでください。

 それでまたこのnoteを読み返してくれたら、僕はとてもうれしく思います。

 そうすれば『絵を見て感じて考えてほしい』の次に来るだろう言葉。
僕(宮崎駿)は、こうして種をまいてきた。君たちはその種をどう育て、どう花を咲かせ、実を結んだ時、どう種をまくのか。

 そういう作品なんじゃないかなぁという僕の現時点での着地点にある程度共感してもらえるんじゃないかなぁと思います。


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