本とのつきあい

今日は資格の勉強と、本を売る準備で1日が終わった。

私は5年半くらい前に、東京からとある九州に引っ越してきたのだが、引っ越す前にほとんど本は売ってきたものの、こっちへ来てから買った本がたくさんたまっていると思い込んでいた。

でも5年と少し経ってるのに、32冊しか売る本がなくて、案外少ないなーと拍子抜けした。

わたしはストレス解消や悩み解決のために本を買うところがあって、去年慣れない部署へ異動してから1年くらいはその傾向が強かったように思う。

でも本を読んだところで書いてあることを実践しなければなんの身にもならないし、物が増えてただでさえ狭い部屋がどんどん狭くなるので、今は「しばらく本を買わないチャレンジ」をやっている。

その代わり家の中につくった未読本コーナー(余ってる机に本を乗せてるだけ)から読みたい本を探すことにしている。

けど、買わないチャレンジをする直前に買った本が面白くてその未読本コーナーを見る機会は今のところない。

いまだに本屋さんには寄ってしまうので、この間は雑誌を買ってしまった(雑誌はずっと持ってるものというよりは、自分の中では捨てていいもののカテゴリーに入れてるので、ノーカンなのです)。
少しは世俗的なものに触れないと仕事柄凝り固まったらいけないしね、という言い訳を用いつつ、楽しく読んでる。

仕事終わりの本屋はなかなかやめられない。

***

どこかで「本との関係は人間関係を表している、実際の人間関係がうまくいっていなかったら本棚に本がびっしりあることが多い」みたいな話を聞いてあながち間違ってないと思った。
わたしも現実がうまくいかなくなると本をたくさん買い込む傾向があるからだ。

事実、大学の時は勉学に恋愛にバイトに、と良くも悪くも充実していたので、勉強に使用する本や教養に関わる本以外はあまり読まなかった気がする。
…と書いていて小説もエッセイも結構読んでいたなと今思い出した。

ただ、やっぱりなんだか本との付き合い方が今と違った。
大学の図書館が充実していたというのもあるが、悩みがあったら本屋に行って買い込むとかはなく、ただただ欲望のまま読みたい本を図書館で探して、借りて、読んでいた。

その時代に比べると、今は本を逃避先として求めている気がするのだ。

本に逃避しても、最初に書いた通りなんらかの学びを得て実践をしなければ意味がないし、わたしは学んでもアウトプットするのがめんどうなので結果全然身につかない。

だから今は、持っている本は楽しみつつ、ストレス解消も悩み解決も、別の方法を見つけなければな、と思っている。
もちろん小説やエッセイはアウトプットするものでもないので、これまで通り楽しく読もうと思う。

「買わないチャレンジ」、続きますように。
(ちなみに買わないチャレンジという名前はミニマリストブロガー 筆子さんのブログより拝借した)

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