君の名は

 フリードリヒ2世と言えば、赤ちゃんを対象にした非道な実験をした人である。と言っても、本人が極悪人だったとかそんなことではなく。フリードリヒさんはただ、赤ちゃんを集め、言葉を教えないで育てただけだった。
 
 どんな言語にも触れさせずに赤ん坊を育てたら、最初にどんな言葉を発するんだろう?子どもが初めに話すのは、フランス語だろうか、ラテン語だろうか?それとも他の言語?人間の始まりの言語は何だろう。それが彼の疑問だった。
 
 フリードリヒ2世はワクワクしながら待ったものの、結局、実験に使われた赤ちゃんは、どの子も長生きしなかった。言葉を獲得する前に、誰もが元いた世界に帰ってしまった。そんな話がある。
 
 だから赤ちゃんには、たくさん話しかけ、スキンシップを取りながら育てるべきである……。この逸話が紹介されるときには、だいたいこの手の教訓がついている。でもこの実験、ツッコミどころが多いと言えば多い。
 
 当時の赤ちゃんを取り巻く状況が、どれくらい快適なものだったか、衛生的だったかわからない。侍女たちが世話をしたと言われているが、単に彼女たちが仕事をさぼって、十分な栄養を与えなかったのかもしれない。だからこの話も眉唾ものではある。
 
 でも時代が進み、もっと精度の高い研究結果が出た。第二次世界大戦中、数多くの戦争孤児が生まれたときだ。彼らは孤児院で育ち、栄養面や衛生面には十分、気が遣われた。きれいな部屋と、きちんとした食事。足りなかったのは、人とのコミュニケーションだけ。
 
 孤児の数に対して、介助者の数が圧倒的に足りない。その人手不足の環境で、お世話をする人がひとりひとりの赤ちゃんに構っている暇は、ほとんどない。最低限の世話をするだけで精一杯。そういう環境で育った子は、その後どれくらい生きるものなのか。
 
 結果、91人中34人が、2歳の誕生日を迎えることなく終わった。生き延びた子どもたちは、成人後も精神症状が頻繁に見られるなど、健全とは言いにくい人生を送った。
 
 上の2つの話を読んだとき、思い出した先生がいる。神話や民話を研究していて、『千と千尋の神隠し』が好きな先生だった。あの作品には、別世界に飛ばされた主人公が、名前を変えられるシーンがある。下の台詞を見て声が聞こえてくる人も多いだろう。

 千尋と言うのかい、贅沢な名だね。今からお前の名前は千だ。いいかい、千だよ。

『千と千尋の神隠し』

 先生いわく、神話にもこういう場面があるのだと。どこか見知らぬ世界に飛ばされたら、「その世界での名前」をもらわなくてはいけない。でないと、そこで生き延びることはできないのだ。元いた場所の名前は使えない。新しい名が、その世界での存在を保証する。
 
 ひょっとして、フリードリヒの子どもたちも孤児院の子どもたちも、名前を呼ばれていたら。他のどんな言葉もかけられなかったとしても、せめて自分の名を呼ばれて、そのたびに誰かが顔をのぞきこんでくれたら。それだけで、もう少し長生きできたかもしれない。
 
 あなたのこの世界での存在を認める、唯一にして最初の言葉。あなたの名前。
 
 フリードリヒ2世は、人類最初の言語を知りたがったわけだけど、なんでそんなものが知りたかったんだろう。
 生まれ出た世界で生き延びるため、大事なのは──それがどんな言語に属するものであろうと──その子の名前だとわかっていれば、それで十分だったんじゃないか。
 
 なんてことを、いま思ってみても仕方がないわけだけど。それにしても『千と千尋』はいい作品で、何回でも見返したくなる。ワケわからん神さまが、わらわらと風呂に入るシーンとかとてもいい。
 
 少し前に生まれた娘の名前は、今のところ毎日呼んでいる。ようこそ、こっち側の世界へ。


参考文献:
Spitz RA. Hospitalism; an inquiry into the genesis of psychiatric conditions in early childhood. The Psychoanalytic study of the child, 1:53-74, 1945.

本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。