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ヒールは嗜好品

靴を買う。フォーマルシューズが一足もない、何かいいのを見繕ってくださいと泣き付くと靴屋さんは
「どういう状況です?」
ヒールの高いのがいいのか、フラットなものか、色々あるでしょうという顔をする。

彼はかかとの高い靴を売りたがらない。それで苦労した女性たちをたくさん見ているからだ。足首が血まみれになったり、足が痛くて歩けなくなったり。中にはオーダーメイドで10万円以上かけてよその店で靴を作り、それでも痛いと駆けこんでくる人もいるらしい。
「うちで作ったのでなければ、修理もできないですしね」
ハイヒールを巡る話をするとき、靴屋の主人は少し苦い顔をする。

「女性はヒール靴」という習慣はいろいろなところにある。彼もそれは知っているし、見栄えがいいとも言う。「カッコいいでしょう、カッコいいからね、皆さん履きたがるんですよ。でも見栄えのいい靴は悪さもする」。かかとが高ければそのぶん爪先が圧迫されること、そもそもハイヒールで綺麗に歩けるのは筋力のある人だけであって、慣れない人は膝から歩くせいで不格好になること。そんな話を聞く。

「若い頃に踵の高い靴をたくさん履かれていた方がね、歳を取ってから脚が痛いって来店されるんですよ。皆さん仰るんです、『こんなことなら、若いときから靴に気をつけておけばよかったわ』ってね」
ハイヒールで歩き回るって、それはそれでカッコいいなあ、と思うけれど、その健康被害は後々まで響くらしい。

一応ヒールのあるパンプスも触らせてもらったが、ひどく固い。靴は本来、指の付け根の部分が曲がるようにできている。そうじゃないと地面をきちんと蹴ることができず、歩きにくい。安物の靴だと、柔らかすぎて付け根でなく全体が変形したり、そもそも曲がらなかったりするから、買うときにはここを確認する。作りの悪さを疑ったわけではないが、つい習慣で確かめようと力を込めたら、素材が固いせいで結構な反発にあった。
「曲がらない」
思わず口にすると
「ちゃんと曲がりますよ、でもとても固い」
と返された。

結局、フラットシューズを選んでもらって帰った。全体がフワッと足を包んでくれる感じで歩きやすい。そしてハイヒールを履く人のことを考えさせる。素敵だけど大丈夫なんだろうか。友達にも、低身長を気にして踵の高いのを履いている子はいた。彼女はしばらく足を痛めて、どうしても身長が低いから履きたいんだけどと言いながら、泣く泣くスニーカーに変えた。ハイヒールはカッコいい、でも痛い。下手したら歩けなくなるほどに。

何年か前から「Kutoo」と称して「ヒール靴の強制をやめよう」の運動が起きている。そうだ強制はよくない。でも悪いのは「強制」であって「ハイヒールなんてこの世からなくせ、パンプスなんて店頭から消えろ」は違う。それを履きたい人には履く自由がある。誰だって好きな靴を履いていい。低身長が気になるから、あるいはファッションの外せない一部だから、それを好む人はいるだろうし、それを規制する権利は誰にもない。

ただ、靴屋で聞いたモヤモヤした話は広く届くといいな、と思う。安易に他人に強制するには健康コストが大き過ぎる。若い内はよくても歳を取ってから響いてくるし、そうなったとしても時効だから誰も責任を取ってくれない。「歩けなくなる」は怖すぎる。女性にだけそういうお客が多いのを、靴屋さんはどう思って見ているんだろう。仕方のないことなのか、近頃はその風潮も改善されたから良しとするのか。

外出自粛の影響で、ヒールのある靴はほとんど売れないらしい。「スニーカーばっかり売れてます、踵のあるパンプスはもう一種の嗜好品ですね」。ヒールは嗜好品、本当そうなればいい。

本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。