「自分を好きになる」とは

「自分を愛しましょう」とか「好きになりましょう」とかいう台詞をたまに聞くけど、それって説明不足じゃないかって思う。

「自分を好きになる」というのは、嫌いな自分を変えていくプロセスのことだ。別に「今のままでありがたいと思え」ということではない。

「自分のことが嫌い」というのは、不自然な感情ではなくて、あって当たり前だ。生まれつき完全に自分を愛せる人以外は、誰だってどこかで自己嫌悪する。そこから、好きな自分を作り上げていくことが大事なのだ。「好きになれない、どうしよう」と泣くことではなくて。

私は、自分の容姿がコンプレックスで、いつもおしゃれな女の子たちを高く見上げていた。メイク道具の使い方を知らず、母の買ってくれた服を自己流で組み合わせて着ていた。おしゃれって何をどうすることなのか、皆目見当がつかなかった。
性格は、内向きなのに攻撃的で、妬み嫉みを暗く爆発させるタイプの、危ない人間だった。

自己否定感に満ちていたのに、その場所から一歩も動けなかったのは、どうすればいいかわからなかったからだ。何から手を着ければいいのか知らなかった。だから、そんな自分はもともと美容面で恵まれていないのだと信じていた。

いま思えば、それは単に無知なだけだ。変わるために必要なのは、才能でもセンスでも幸運でもない。正しい知識と、それに基づく行動、そのための時間とお金である。知らないことは学ぶのみ。

幸い本を読むことは好きだったので、髪型診断、パーソナルカラー、メイク方法などに関わる書籍を図書館で借り、手元に置きたいものは購入。納得いく美容師に出会えるまで、一年近く美容院を変え続けた。

ズボンばかりだった服が、ワンピースになりスカートになり、そのスカートもフレアになったりレースがついたりして、だんだんといわゆる女らしい格好ができるようになった。出会った美容師は魔法使いのように、私が手入れできない毛を取り払い取り払い、鎖骨を超えるほど伸ばしても見苦しくないくらい、髪を伸ばせるようにしてくれた。
(それまではずっとショートだった。手入れできないから。)

似合う色や骨格タイプ、服の合わせ方。二年近くそういうことのためにあがき続けて、いまの私はやっと自分に満足している。
だから自分を好きになるっていうのは、心のなかでやることじゃなく、実際動いて変わっていくことなんだと思う。そうやって作り上げた「好き」は、ちょっとやそっとのことでは揺らがない。

生まれつき恵まれている人には持てない自己肯定感を、持たざるものはそうやって作り上げていくのだ。「自分を好きになる」は、あくまでも動詞──その過程と行動のことなのだと思う。

本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。