出産レポート

 出産を終えた。幸福の絶頂か、地獄の始まりか知らない。たぶんそのどちらでもないと思う。
 
 産院にいるあいだ、新生児お母さんアンケートがあり「子どもをかわいいと思いますか」という項目があった。どうだろう。赤ちゃんをお世話するのは人生で初めてで、見慣れない生きものだなあと感じる。最初の感覚は、本当にそれくらい。
 
 出産した途端に母性があふれてくる人もいるらしい。自分に関してはそのパターンではなくて、「かわいい」という感覚はよく理解できなかった。すべての瞬間が「初めてまして……どうも……」みたいな気持ちだった。
 
 それで、アンケートの「強くそう思う・少しそう思う・思えない」の選択肢の中から真ん中を選んだら、結果を見た助産師から心配される。「あんまりずっと『かわいい』っては思えない感じです……?」茶髪でショートヘアの女性から、そう言って覗き込まれた。
 
 ひょっとしてこれ、質問の真意は「将来的に虐待の可能性がある母親をあぶり出す」だったりするのか。あるいは、産後うつになりそうな人を早期に発見するとか。このあたりの機微がわかってないあたり、自分の社会性はそれほど高くないんだろう。
 
 自分が鬱になるかはわからない。程よくいい加減な性格を母親から継いでいれば、その可能性は低いだろう。そもそも「子どもをかわいいと思う必要がある」みたいな世間のニーズをよく理解していない時点で、自分を追い詰めて鬱になることはない気がする。
 
 子どもなんて、泣くし喚くし漏らすしうるさいし、そんなもの。泣き止まないときには憎しみが湧いてもおかしくない。最初からそう思っている。ちゃんと世話しさえするのなら、そこにどんな感情が乗っていたって別にいい。たとえ特別かわいくなくたって。
 
 とはいえ、とりあえず目の前の人に「わたしはヤバい人ではありません」と証明したほうがいい気がする。それで「『お世話しなきゃ』としか思えなくて、赤ちゃんは初めてで……」とポカンとした表情で答えると、そうですよねえとひとまず笑ってくれた。
 
 問題なしと見なされたのか、それ以後は何も言われなかった。他の項目──「訳もなく泣きたくなりますか」とか「赤ちゃんを叩きたい/自分を傷つけたいなどの感情はありますか」は全部「いいえ、まったく思いません」だったので、それもあるかもしれない。
 
 赤子は、ときどきベッドの中で「アッアッ」とかすかな声を上げたり、お腹が空くとあぎゃーあぎゃあと泣いたりした。泣いたら授乳をするか、ミルクを作るか。かすかな声を上げているときは、なんか動いてるな、とりあえず生きてはいるらしいと思った。
 
 それからしばらく経って、沐浴のときに顔をしかめる時や、授乳中に急に周囲を見るときなんかに「それなりにかわいいな」と感じるようになった。
 
 赤ちゃんっていうのは、もっと頼りなくて小ちゃくて、お世話をするのが怖いような気がしていたけど、そんなことはなかった。持ち上げると重くて実体があり、泣き声もたくましい。
 
 実家にいる母に電話して声を聞かせたところ、「あらー♡」と嬉しそうな反応が返ってきたあと「元気やねええええ」と感嘆していた。自分はこれが初めてだから、元気なのかどうか判断基準がないけど、確かに弱々しい感じはしない。生命力。
 
 父親とはビデオ通話をつないだ。ベッドに寝そべっている赤ちゃんを上手に映すのはむずかしくて「もうちょっとカメラを頭のほうにやってくれ……そうそう」と何度も指示を出された。父親は「かわいい~~~~」の一点張りだった。
 
 「自分が親になるときは責任が大きいからアレだけど、じいちゃんになった今は気楽なもんだわ」と言いながら、白髪になった父親は目を細めていた。

本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。