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架空の旅、一瞬

 妊娠も後期で、どこにも旅行に行けないから……というのは嘘で、もともと旅行はおっくうな性質なので、旅のエッセイを読んで気分だけ行った気になる。読書好きのおばさんがくれた、若菜晃子『旅の彼方』を読んでいる。
 
 お菓子が好きな人らしい。甘味の話が折に触れて出てくる。中でも食べてみたいのがインドの「ジェレビー/ジャレビ」と呼ばれるおやつで、油と小麦粉と砂糖でつくる、ドーナツに近い何か。

  インドに行ったことはない。これから行く予定も特にない。ただ旅行者の話を聞いたり、投稿を見たりしていると、あまり衛生的ではないのがわかる。著者の若菜さんがジャレビを食べたときも、地べたで揚げ物をしているおじさんから買ったと書いている。
 
 あの国に行ったら、露店でチャイ以外は頼んではいけないと聞くけど、そうなんだろうか。少なくとも著者は「ジャレビ」ではあたらずに済んだそうだ。ただ、その後のサトウキビジュースでやられ、一週間寝込む羽目になった……とエッセイは結ばれる。
 
 道端でおかしを作って売る文化、衛生的にはすごく問題ありなんだろうけど、雑でいいなとも思う。そこらへんに勝手に店を出して商売して、どうにか暮らしている人たちがたくさんいる国なんだろう、インド。
 

 最近は海外から日本に帰ると、地下鉄の乗客が水を打ったような静寂の底に沈んでいて、全員が一心にスマホの画面を見つめていて、あたかも手のひら大のそれに吸い込まれていくようで空恐ろしくなる。日本人は静かでマナーがよくてすばらしいけれど、一様に暗くつまらなさそうな顔をして、皆同じ行動をとっているのがこわい。息してるのかと思うこともある。生命力を感じない。成熟社会とはこういうものなのかと思う。
 
 今はインドだってすさまじいほどの発展途上で、だからこそ貧富の差は激しいのだが、それでもまだ、全体に人間が生きて生活している感じがある。仕事前の朝の屋台に立ち寄る人や、靴磨きやゴミ掃除のおじさん、駅で荷車を引いている男の人も、頭に荷物を載せて歩いている女の人も、学校に向かっている子どもも、その合間をさすらっている犬さえも、それぞれがまだ自分の生を営んでいる(この言葉がしっくりくる)感じがする。

若菜晃子『旅の彼方』アノニマ・スタジオ、2023年、251-252頁。


 そうなんだろうな、と予想がつくと同時に「これを書いているあなたもまた、きっと日本の地下鉄で静かにしていたよね。インド映画みたいに踊ってもいいよ」って気持ちになる。静寂の空気を破ろうとせずおとなしくするあたり、この人も本当に日本人だ。
 
 きのう団地の夕暮れを見ていて「ああこれ、『ニューデリーの朝焼けです』って言われても信じるな」と思った。そう思った途端、いつも歩いている場所が遠く離れた地に感じられて、吹いている風が一気に異国のものになった。
 
 実際のニューデリーの日の出はぜんぜん別のものだろうが、なんとなく海外の風を浴びた気になる。インドの道端の屋台のざわめきまで聞こえてくるような気持ちになり、いつもと違う面持ちで家に帰った。わずかに一瞬の、架空の旅行の終わり。
 
 いつだったか用があって、朝の銀座に行ったのをおもいだす。店はどこもまだ開く前で、高級そうな時計店のショーウィンドウの向こうで、制服姿の女性が掃除をしている。まだ街が起きていない感じがあって、でもゆるゆると目を覚ましていく、あの時間帯はなんだかいい。入った喫茶店の空気も、客が少ないせいかとてもゆるかった。
 
 そういう、日常の隙間みたいな時間はいい。すべての時間が生命の躍動に満ち溢れていても疲れてしまうし、すべてが高度に計算されていても息苦しい。ふとしたところにポカンとした空隙があると、それに救われて生きていける。そんなものだと思う。


本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。