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時が経つと

 馴染みの喫茶店に行く。兄妹らしき、お兄さんとお姉さんがやっていて、前はおじさんとおばさんもいた。おじさんは倒れ、おばさんは亡くなってしまい、そこにコロナが追い打ちをかけたときは存続が危ぶまれた。幸い店はいまも続いている。
 
 妊娠している、とはっきり伝えたことはないけど、お兄さんもお姉さんも知っている。カバンのマタニティマークに、出っ張ったお腹。注文を聞きに来たお姉さんが「ランチのコーヒー、カフェインレスに変えられますよ」と気を遣ってくれた。
 
 高校の時から10年通ってるのに、カフェインレスがあるなんて知らなかったよ。メニューには書いてないから、お客さんの希望があれば出せるってことなんだろう。お言葉に甘えて、そっちのコーヒーに変えてもらった。
 
 妊娠や出産っていうのは、つくづく社会的なものなんだな、と思う。「社会的」と言うのがおかしければ「いろんな人を巻き込んでいる」と言ってもいい。結婚みたいに、二人だけで完結するイベントとは訳が違う。
 
 行った先で気遣われることもあれば、職場で「マスクしようね。自分だけの体じゃないんだから」と言われることもある。産婦人科の先生からは、寝るときの体の向きを指示され、電車ではマタニティマークを見た人が席を譲ってくれる。
 
 初めて飲んだカフェインレスコーヒーは、いつもの深煎りよりおいしいくらいだった。また頼もうかな。それにしても妊娠中は、いつもと違うことが多い。
 
 お腹が張り出してきたから、前傾姿勢がつらい。激しい運動はできないし、普段と同じ速さで歩くだけで息切れしたりする。食事も──自由に摂る人は摂るのだろうけど、体重の増えすぎを抑えるため、ある程度制限をかけてねと言われる。
 
 周囲には「妊娠・出産は人権侵害。女性にとってだけ負担が大きすぎる」と言う人と「男性はしたくたってできない。むしろ権利では」と言う人がいる。お腹の中の人はそろそろ聴覚が発達してきているが、それを聞きながら暴れたり、少しも動かなかったりする。
 
 自分もむかしむかしは羊水の中にいただろうに、その頃のことはまるで思い出せない。古本屋で投げ売りされていた本には「妊娠中もたくさん愛されて話しかけられた子は、お腹の中のことを覚えています」と書いてあった。覚えてないのはそういうわけですかね。
 
 母や父に電話したときには、受話器をお腹に近づけて何か話しかけてもらう。母は低い声で「ばぁばだよ……メルシーちゃんのお母さんっぷりはどうですか」と尋ね、父は「メルシーの親爺だよ」といつもの調子で言う。
 
 なるほどよく考えたら(考えなくても)両親がおじいちゃんおばあちゃんになる初のイベントなんだな。祖母としての母、祖父としての父の顔は、あたり前だけど今まで見たことがなかったので、そうかこんな感じなのかと新鮮な気持ちになる。
 
 ふたりの反応の違いを見るに、母のほうが先に「おばあちゃん」としての自覚を持ったらしい。父はまだ、おじいちゃんを名乗らない。
 
 メルシーちゃんのお母さんっぷりはどうですか。どうなんでしょう。これから試されるので温かく見守ってください。産まれてくる方に関しましては、お手柔らかにお願いします。なにぶんこちらも初めてなもので。
 
 喫茶店で食べたランチパスタには、アサリやいんげん、人参、玉ねぎといろいろ入っていて具沢山だった。最近、家でパスタを作ったときに思ったけど、いろいろ入れると食べたあとお腹が整う感じがある。バランスが取れるんだろう。
 
 家に帰って、ふと店の名前で検索をかけてみた。珍しい店名だからすぐにヒットする。出てきた口コミには「おばちゃんの人柄に惹かれて通ってます!」とあって、投稿されたのは8年前だった。

本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。