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ひとり、ふたり、暮らし

 学生のころ、結婚相談所でバイトしていた。と言うと、誰もが「なんで?」とか「レアバイトだね」と答える。そうして興味のある人は「いくらくらいかかるもんです?」「何歳くらいの人が多かったです?」と訊く。
 
 値段やサービスは相談所によってまちまち、でもって自分が接客したのは30~40代の人が多かった。いつだったかおじさんとの会話でそう答えると、横で聞いていた23歳の男の子が「そりゃそうですよ」と割って入った。
 
「20代だったら婚活する必要ないじゃないですか。で、50代になったら諦めるじゃないですか」
 
 言っていることは、大きく外れてはいない。でも実は、他社には彼と同じ20代前半の男性もちらほらいた。「男の子の20代なんて、まだまだ遊びたい時期じゃない?」という周囲の驚きをよそに、新卒まもない段階で婚活する男性は珍しくない。
 
 という話を、食卓にいる夫にする。24歳で婚活している男の子、バイト時代ちらほら見たよ。夫は「あたりまえや」とあっさり答える。
 
「大学で付き合った女にさんざん貢いだ挙句、バイバイされる男もおるねんで。かけた時間と金は取り返しがつかん。それやったら奥さんになる人にかけるほうがいい」
 
 だから早いうちの婚活は合理的だと言って、夕食の麻婆豆腐をぱくついていた。夫の要望でアボカドを入れたけど、これはこれで味がマイルドになっていい。ふーんと聞き流していたら、意外にも話は続いていた。
 
「24で年収400あったらそれだけで将来有望や。ふだんはモテへん奴でも相談所やったら、同い年からチヤホヤされるやろ」
 
 それはどうかなあ。自分が見た女性たちは、年収600万円くらいでフィルターをかけていた気がする。そう言うと夫はふっと顔を上げて「そういえば君はいくらやってん?旦那の年収がいくら以上やったら、結婚してもいい思てたん」。
 
 かつての女性たちよりもはるかに低い数字を答えると、夫は「望みが低いねん」と吹き出した。麻婆豆腐の皿はもう、ほとんど空になっている。

 
 今日はめずらしく夫が半日、家を空けた。ふだんは家にいる人だ。自分は久しぶりにひとりになる。そうして、ひとり暮らしのときってこんな感じだったよな、と思う。
 
 休みの日にいくら惰眠をむさぼっていても構わない。部屋のカーテンを閉めて一度、眠りに就いてしまうと、起きたときにはもう何時かわからなくなっている。買い物をするために家を出て、帰ってきてからまたフラフラと散歩に出る。
 
 誰もいない散歩道では、ずっと蝉が鳴いていた。団地の階段のところにひとり、若い女性が座り込んでスマホをいじっていた。蝉の声で世界がいっぱいになる。
 
 高校のころから、よくこうやって一人で出て歩いた。街の中の、同じ場所を何度もぐるぐると回った。帰りたくなかったのかもしれない。寮生活をしている個室には、あたりまえだけど自分以外だれもいなくて、部屋は殺風景だった。
 
 誰もいないと、自分を苛立たせる人も傷つける人もいない。代わりに、なにかを共有する人も話し相手もいない。誰も自分になにかを要求してこない。そうして、自分のことは自分でする。分業も分担もなし。そういう生活が長かった。
 
 自由だったけど、別にそこまで自由でなくてもよかったな。結婚したいまならそう思う。なるほど夫がいると、帰ってくる時間を気にして食事をつくったり、出かけるときは予定を伝える必要はあるけど。あるけどそれくらい。
 
 久しぶりにひとりであてのない散歩をして、気が狂う一歩前の孤独、みたいな感覚を思い出す。ずっと世界に誰もいなくて、気に障ることもないけど色彩もない。
 
 夫は朝に言っていた通り、夕食の時間には帰ってきて、手にしていた「ひき肉入り麻婆豆腐の素」をハイと渡してきた。

本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。