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普通においしい、それって最高


 「誰にでも好かれる」なんて所詮は不可能なのだけど、それにしてもサブレを嫌いな人はいないだろう。出産祝いに届いた箱の中の、丸いお菓子を見ながらそう思っている。かおる堂のカオルサブレ。
 
 かおる堂とは、地元秋田で名の知れたお菓子屋さんで、小さい頃からごくあたりまえにその名前を目にしてきた。いま改めて、その箱やパッケージを見ている。中に入っている、この絵は東郷青児か。名物のサブレにはちょっとしたポエムも書かれて。

 サブレは好きだ。素朴でおいしい。クッキーに近いが、サブレのほうが油脂の量が少なく、それだけに余計、無駄のないシンプルな味わいになる。かおる堂のポエムにもちゃんと
 
「マアルイ『カオルサブレ』ハ 誰ニデモ好マレル 素朴ナ味ワイノ オ菓子デス」
 
と書かれていた。秋田名物と呼ぶほどおおげさなものではないが、地元民に愛される「その土地の普通」。こういうのはわざわざ「食べに来てね」と言うのもはばかられて、何かの際にいただくのがちょうどいい気がする。
 
 誰かに慶事があったらこれを贈ろうか。贈り物にしては素朴すぎるか。サブレを送ってくれたおばさんは、他にお手製のお祝いカード(飛び出す絵本式に作られていてクオリティが高い)や、本やゼリーをくれた。
 
 その土地の普通。こういうのは「いかにも名物」といったものより記憶に残ったりする。
 
 数年前、パリに行った。地元のマダムたちが「本場のお菓子を研究する」目的で修行に行くのに、自分も連れて行ってもらった。マダムは、おいしいお菓子の店を練り歩き、パリだけあってどこも店はおしゃれで、どこでも焼き菓子のいい匂いがした。
 
 肝心のお菓子の味はほとんど覚えてない。「初めてフランス語でブリオッシュ頼んだわ」くらいの記憶しかない。店員の人たちが、自分の拙いフランス語をほほえましそうに聞き取ってくれた。まちがっているとソフトに訂正してくれるのだった。
 
「アディション(お会計)シルヴプレ(お願いします)」
「『ラ』ディシオン」
 子どもを見守るような慈愛ある笑顔で、大きくうなずかれる。
 
 泊まっていたホテルの前にはお惣菜屋さんがあって、あるとき朝ごはんをそこで買った。サンドウィッチ、パン、各種お惣菜、それから調味料の棚もあったと思う。こじんまりした店で、地元の人が次々と買って、足早に去って行く。
 
 ここでニンジンのマリネを求めてホテルで食べた。これが1番おいしかった。地元民に愛されるだけのことはある。それを食べにわざわざパリまで行きはしないけど、行ったときに食べるとちょっと幸せになれる。その土地の「普通」。愛される「普通」。
 
 カオルサブレは、すなわちパリで食べたニンジンマリネなのだ……と思いながら、ばくばくとほおばる。軽めのバタークッキーと言ったら伝わるだろうか、バター入りだけど重たくないからずっと食べられてしまう。
 
 秋田は食には困らない土地で、メインディッシュからお酒からおつまみまで、なにかと味のいいものが揃う。母親は
 
「あんたの住んでいる地域は人が多いから、多少まずくても店を開けてしまう。その点、秋田は人口が少ない上に味にうるさいから、変な飲食店はない」
 
 ない、と言うか、あっても潰れるんだろう。なるほど人口減少に悩む県では、こういう理屈で飲食店のレベルが高いのかもしれない。離れてみて思うけれど、食の「普通」のクオリティは高いのがあの県だ。
 
 「普通」のクオリティが高い。大事なことなんだよな、これ。たとえおいしいものがあっても「食べられるのは王侯貴族だけ」なんてことになると、庶民の食事のレベルは終わったままになる。嫌だ、そんな世界。
 
 一庶民としては今後も「普通に」おいしいものを支持していく所存。


本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。