「死にたい」は悪いことじゃない

「死にたい」と言うのは悪いことではない、と考えてる。それは単に雑な叫びなのであって、本当のところは「今の自分も境遇も気に入らない。全部取り替えて生まれ変わりたい」くらいの話なのだと思う。だって本音で死にたければ、口にする前に冷たくなって棺桶に納まっているはずだ。人の本音は言葉よりも行動に表れる。生きているということは、生きていたいから生きているのだ。

比喩的な意味でなら、死ぬのは悪いことじゃない。今までの自分の嫌な部分、捨てたい価値観を一旦葬り、自己を更新し刷新していく。それがつまり、比喩としての死と再生だ。人は生きていく限り死んでいるし生まれ変わる。

私が違和感を覚えるのは「死にたいなんて言わないで!せっかく両親のくれた命でしょう?!」と励ます人間だ。うん、よく見て。あなたが励ましてる相手は生きてるよね?それが相手の本音だよね?だから「死にたい」は、その言葉以上のメッセージをはらんでいる──と、私だったら思う。少なくとも、無責任にポジティブな台詞を吐いたりはできない。きっと「本当に死なれたら辛いけど、死にたいって思う気持ちはわかるよ」と言うだろう。

それが正解かどうかはわからない。でも、上の励ましの言葉が言うみたいに、死ぬほど取り替えたい自分のまま無理矢理ポジティブに生きていくよりは、死にたい気持ちと向き合うほうがよっぽど健全だ。私はそうやって、暗いことも受け止められる人たちと付き合っていきたい。

本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。