見出し画像

バレンタインの残酷

バレンタインデーって、結構残酷な日だったんじゃないか。いきなりそんなことを思う。制服を着て教室に通っていた頃には思わなかったけど、ひとつもチョコを貰えない男子生徒にとっては、ちょっと辛い日なのかもしれない。

男女が逆だったらどうだろう。仮に女の子が「貰う側」として認知されているイベントだったらどうだっただろう。そうしたら、ひとつも貰えなかったらやっぱり寂しいかな。「単に友達としての好意でもいいから、チョコちょうだいよ誰か」、そんな気持ちになったかもしれない。

どうしてバレンタインデーに限って「女子から告白してOK」という自然な了解があるのか。男性から女性への告白は、年中無休でOKなのだろうか。それなら、男性にとって残酷なのは2月14日の一日だけで、女性はそれ以外の日々を、毎日その残酷さ──好意を貰える人と貰えない人に分かれ続ける──に晒されているということなんだろうか。

たぶんこの本だったと思うけど、男女のモテる・モテないについて分析した箇所があって、そこの記述がこんな感じだったのを覚えてる。
「男性は努力して収入や地位を上げるなどして、ある程度頑張ればモテの条件を手にできる。では、女性で容姿に恵まれない人間に生まれたらどうか。男性諸氏、容貌がまったく麗しくない女性は、正直パートナーとして選ばないんじゃないですか」と。
そこを読んだとき、「うわあ男の人にとって外見は、そんなに大事なのかあ……」と引いてしまった。

外見は当然ながら、生まれつきで決まる要素が大きい。そこで恵まれなかった人は、つまり努力して勉強や仕事ができるようになっても、異性から愛されることは難しい。その点で、容姿が劣った者同士を比べれば、女性のほうが不利である……とその本は言っていた。

それがどこまで本当かはわからない。実際には、容姿はどうあれパートナーを持つ女性はいるし、男性は努力したらモテる!と言えるほど、事態は単純じゃないように思う。でも、バレンタインの残酷さを味わっているのは、男の子ばかりじゃないよ。それだけは言える。

むかし穂村弘のエッセイで「今年の2月14日は土曜日だ。学校がない。よかった。学校に行ってソワソワして貰えずに帰ってくるアレをしないで済む」みたいな文章を読んだ。今日は日曜日だ。学校がない。だから安心した人も、だから当日に渡せなかったと嘆いている人も、今日が何の日なのかそもそも忘れていた人も、すべての人にハッピーバレンタイン。ちなみに推しチョコは、明治のシャルロッテです。

https://www.lotte.co.jp/products/brand/charlotte/


本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。