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漫画は見えないものを描いて

漫画はそろそろ、哲学の対象になっていいような気がする。

いつだったか、授業で黒板にこんな絵が描かれたことがあった。

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漫画でよく見るあれ、頭の中で考えていることを表すモクモクした吹き出し。教授はこれを描きながら「これが考えていることを意味するって、どうして僕らわかるんでしょう」と言った。

「誰もこんなモクモクしたのが頭から出てるの見たことない。だけど漫画で描かれたとき、なんの前置きもなく理解している。『これは登場人物の心の声だ』と……」

どうして僕ら、これがわかるんでしょう。「それが漫画のルールだから」と言ってしまえばそれまでだけど、なぜそれを自然に受け入れられるんだろう。不思議なのはこの吹き出しだけじゃない。叫んでいることを意味するギザギザした形もあれば、ヒソヒソ声を表す点線吹き出しも存在する。

でも、日常生活で怒鳴っている人の口からギザギザしたものが出てるのは誰も見ていない。あるいは、ヒソヒソ声が空中で点線を作るわけでもない。それに結びついたリアルな経験が何もない。ないはずなのに「この吹き出しはそういうことだ」とあっさり受け入れて物語を楽しむ。

漫画に入っている効果音も同じだ。人々が口々に喋っているときの「ザワザワ」も、衝撃を受けたときの「ガーン」も、誰もそんな音を聞いた人はいない。物事がうまくいかなった「チーン」も、気取っている人につけられる「キラーン」も。聞いたはずないのに、私たちはその音の意味を知っている。

どこにも見えないし聞こえないのに、確かにそれがあるようなもの。漫画は、そういう「ないけれどある」を拾うのがとてもうまい。もちろん、小説や物語の中にだって擬音語や擬態語は存在するけど(「どんぶらこっこ」とか)漫画が持つ表現バリエーションは、それらを大きく上回る。

人には、そういう「見えない/聞こえないものを見て聞き取る」能力は確かにあるのだと思う。これを言っているのは別に自分が初めてではなくて、脳科学の世界では既に、こんなユニークな実験が成されている。名付けて「ブーバ・キキ実験」。

以下の二つの図形は宇宙語です。どちらかの発音が「ブーバ」、もう片方が「キキ」です。どちらがどちらだと思いますか?

タイト (2)

これについて、90%以上の人が同じ回答をするらしい。どうしてそうなるのか、メカニズムはいまだによくわかっていないと言われる。たぶん、あなたと私の答えも同じだと思う。そう言える程度には、答えの普遍性に自信がある。

でも、いまのところ誰も、その理由を明確に述べられていない。自分もそうだ。「だってそう思ったから」以外に、ブーバとキキを見分けた理由はない。むしろ説明不要でわかるからこそ、答えに自信があるとも言える。

「形に音はない」「音に形はない」。それは正しい。だけど私たちは、音の形を知っている。ギザギザした吹き出しは叫んでいる。モクモクと頭から出ているのは、心の中で考えていることだ。音と形だけじゃない。そのときの気持ち、例えばショックを受けたら、そこで音もなく流れる効果音は「ガーン」なのだ。「シャキーン」でも「ヘロヘロ」でも駄目である。なんで駄目なんだと言われても、駄目なものは駄目なのだ。

聞こえないけれど知っている。見えないけれどわかっている。そういうものを表現させたら、あらゆる表現方法の中で漫画が一番なんじゃないか。スピード感を表す複数の直線や、注目を誘うためすべての線をそこに集める集中線。走っていることを示す、人の下半身に描かれた渦巻き……。

その表現の豊かさは、改めて見ると驚かされる。無粋な分析と言われるかもしれないけど、大人になったからできる、そんな漫画の楽しみ方もある。

本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。