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ここにはいない彼女の話。

 愛情表現っていうのは人によって違う。お金をかけるのが愛情の人もいれば、時間をかけることに愛を見出す人もいるし、そうじゃなくて話を聞いてくれるとか、優しい言葉が大事な人もいる。
 
 結婚してから、ときどき彼女のことを思い出す。彼女とは、単なる「あの女性」の意味じゃなくて、付き合っていた女の子。仮に名前を菜乃(なの)としておく。気が強く口が悪く、頼りがいのある人。
 
 新婚生活が始まって、何をどうしたらいいのかわからないときは、菜乃のことを思い出した。たとえば、夕食はいつ作ればいいんだろうってとき。夫が帰ってきたときなのか、帰ってくる前なのか、それとも彼がお風呂から出たら、ゆるゆる作ればいいのか。夫はいつも、帰宅するなり浴室に入る。
 
 一番いいのはどれだろう。自分なら、どれが一番嬉しいだろう。そう考えるときには、菜乃の顔が浮かぶ。仮に菜乃と結婚していたとして、どうされたら嬉しかったか。
 
 たぶん、家に着いた時点で「ご飯できてるよ」と言われるのが利く。あっ作って待っててくれたんだ、みたいに気持ちがフワッてなる。ならきっとこれが「正解」だ。こう仮定する。
 
 自分が平日、夫が帰るまでに夕食とお風呂の準備をしておくのはそれが理由だ。自分がされたらいいだろうなってことを、とりあえずやってみる。彼が帰ってきたら玄関まで行く。自分なら、そう出迎えられたら嬉しいからだ。
 
 もともとそんなに愛情表現の得意なほうじゃない。言葉にして「好き好き大好き超愛してる」と言うタイプではないから、それ以外にどうしたらいいんだろうって考える。だからとりあえず、菜乃にされたら嬉しい(かもしれない)ことを思い浮かべる。
 
 できたら家にいるときは、ニコニコしていてほしいなとか。ボロボロな恰好をされたら悲しくなるな、とか。不機嫌な顔で苦手な家事をこなすよりは、わたしに任せてくれたらいいなとか。
 
 それが身勝手な発想なのはわかる。誰だって、おかしくもないのにニコニコするのはかったるいだろう。忙しいときは身なりに構わなくなるものだし、それに文句を言われても困る。もし菜乃にこれを言ったら、ふつうに睨まれたと思う。
 
「だったらもっと稼いでくれば?!そんで家事ぜんぶ外注するんだよ。そうしたら私だってきれいにする時間ができるし、ニコニコもするの」
 
 言いそう。書いたセリフは、完全にむかしの菜乃の声で再生される。こういう性格の人だから、結婚は考えなかった。付き合う分には最高だけど、ずっと一緒にいたい人ではなかった。別れる遠因になったひとつに、菜乃の口調の厳しさもあった。
 
 キツい物言いは避けたい。仕事を終えて家に帰ってきて、待っているのが責めの言葉なのは辛い。一応そういう考えを持っているので、夫に強い責めの言葉はかけてない。と思う。無意識に当たっていたりしたら、そのときはごめんだけど。
 
 もちろん、私と夫では性格がちがうからしてほしいことも違う。なにもかもが、菜乃と私の関係に置き換えられるわけじゃない。そのときはそのとき。でも大枠は外してないと思う。帰宅したときにご飯ができてたら、それを作ってくれたのがパートナーだったら、やっぱり嬉しいよね。わたしも嬉しい。
 
 愛情表現は人によって違う。違うから、とりあえず自分の立場で考える。漠然とした「みんな」がしてほしいことは、きっと夫にもわたしにもあてはまるだろう。とりあえずはそう仮定する。コミュニケーションはいつでも、こういう仮定から始まる。
 
 そのかいあってか知らないけど、夫は家に帰るとだいたい機嫌がいい。「きみめっちゃ旦那のこと好きやん」と冷やかされるくらいだから、愛情もちゃんと伝わってる。とりあえずはそう仮定する。

本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。