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サイコセラピー~人と話す事の大切さ~

…この記事、本当は5月に載せる予定だったのですが…(笑)。
まあ時間は掛かりましたが、ずっと載せないよりはマシですよね!

皆様は『サイコセラピー』ってご存知ですか?
日本語だと『心理療法』と呼ぶらしいですが。

どちらも難しい感じの響きですが、簡単に言うと、対話セラピーです。
サイコセラピストと対話をして、精神疾患、悩み事、ストレスなどと
上手く付き合えるように導いてくれる治療法…と言えば良いのかな?

患者側が、自身の気持ちや感情を理解出来るようにして、
何が悩みの種となっているか、どうして特定の気持ちになるのかを理解し、
問題解決に導いたり、別の角度からのアドバイスをくれる感じでしょうか。

また、サイコセラピストとは大量に会話する事になるので、
患者側の会話スキルも、いずれは少しずつ上がって行く感じです。
悩みも解決し、会話スキルも上達し、一石二鳥なのがサイコセラピー?

ココまで読んでも、まだイマイチ理解が出来ない方はいらっしゃいますか?
大丈夫です。 わたしも未だに良く理解出来ていないぐらいですから。

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実は、わたしもサイコセラピーを受けていた時期がありました。
当時のわたしは、『統合失調症』や『統合失調感情障害』の症状がモロに
出ていた頃で、本当にボロボロで、ついでに痩せ細ってガリガリでした。

もちろん、その時は、まだ自分がそんな病気であったとは知りません。
ただ、あまりにわたしの様子が普通では無く、色々とオカシかったので、
ママが『お医者さんに行こう!』と、わたしを連れて行ったのでした。

※ちなみにサイコセラピストは、お医者さんとはちょっと違いますので、
お薬の処方は出来ません。 お薬が必要な場合は、ちゃんと精神科医へ!

当時、わたしは今よりも色々とオカシかったので、上手く話せず…。
ましてや、初対面であるサイコセラピストに、急に色んな本音や悩みを
打ち明ける事なんぞ出来るハズも無く、初日は無難な悩みを打ち明け、
ボロボロ泣いて帰っただけでした。

わたしのNoteブログをずっと追って読んでいて下さっている方々なら
ご存知かと思いますが、わたしは、精神科医などのお医者さん達には
失望させられてばかりで、医療関係の者なんぞ信用出来ませんでした。

だから、次のセッションでも、その次のセッションでも、
本当の悩みを打ち明ける事が出来ず、何故か患者であるわたしが、
サイコセラピストに気を遣い続けている状態が続きました。
『平気さ!』と、何度も嘘を吐き続けました。

それに、あまりに変な事を色々と言ったら、今まで行ったお医者さん達
みたいに、『警察に突き出すぞ!』とか、脅されると思っていたからです。
精神病院への入院なんかも、もちろんさせられたくありません。

わたしは何週間も、心にバリアーを張り、『普通』を装い続けました。
患者側が心を開かない限り、当然ながら、正しい治療は受けられません。
わたしはココでもまた、少し時間を無駄にしてしまいました。
(それはサイコセラピストのせいではなく、わたしのせいです。)

それに、当時は『統合失調感情障害』の真っ只中だったので、
正しくマトモな思考も出来ていなかったのでしょう。

その為、サイコセラピーを受けていた当時は、その効果がまったく解らず、
そしてその効果を得られるハズも無く、ほとんど無駄に終わりました。

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当時は効果が良く解らなかった為、自分には向いていないと思い、
セッションをやめてしまいましたが、どうやら無駄では無かったようです。

あれからしばらく経ち、気付いた点があります。
『人と話す事の大切さ』です。

今でもまだ、精神科医にも素直に話せない悩みは、たくさんあります。
わたしの心の層は、何重どころか、何万、何憶重もあるのです。

それでも、一部の事は、気軽に話せるようになったと感じています。
それはお医者さん相手にだけでなく、普通の一般人相手にでもです。
こうしてNoteで病気のコトを公開したりしている事も、それのおかげです。

学校、イジメ、病気のコトなど……。
どれも、わたしの中では、絶ッッッッッ対に、誰にも話せない事でした。
しかし、今では、100%素直に・赤裸々にとは言えませんが、
少しずつ、自分を解放する事が出来るようになって来ました。

それは、ほんのちょっとだけでもサイコセラピーに通い、
他の人間と、対話や、会話する事の大切さを学んだからです。

『人と話す事』。
コレが、人間として生きて行く上で、最も大切な事だと感じました。
健常者には当たり前の事なのかもしれませんが、病気のわたし達には、
その『当たり前』が存在しない状態なのです。

だから、サイコセラピーをやめてから、しばらく経ってからしか、
その効果を感じる事が出来なかったものの、今では、サイコセラピーを
して良かったなと思っています。

オマケに、そのサイコセラピストは、医療関係の者でありながらも、
わたしを恐らく初めてきちんと人間扱いしてくれた人物でもありました。
だから余計に、今では『良かった』と思えるのかもしれません。

そのサイコセラピストはフレンドリーな人で、
サイコセラピーをやめる時にはハグもしてくれました。
『患者』というよりも、どちらかといえば『友人』のように
扱ってくれる態度が、心の治療には向いているのかもしれませんね…。
距離を置いて付き合われるよりは、安心感が、まるで違います。

もうサイコセラピーのセッションには行ってはいないものの、
今でも、年に1~2回ぐらいは連絡を取り合い続けております。
毎年、そのサイコセラピストにも、クリスマス・カードを送っています。
生存確認のような物で、わたしの1年の状況を、簡単にまとめて話します。

そして毎年、どんなに遅くなっても、ちゃんとお返事も律儀に下さいます。
こういう当たり前の心遣いが、患者としても、友人としても、うれしいね!

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今年の手作りクリスマス・カードはオーナメント付きなのと、
中はポップアップなので、どういう反応が返って来るかが楽しみです♪

人と話すという事。
この、当たり前のようで、でもそうではなくて、とても大切な事を
教えてくれたサイコセラピストとは、これからも良い関係を、
ずっとずっと続けて行きたいです!

…ちなみに、このサイコセラピストとのやり取りは、わたしが描いている
出版用の闘病エッセイ漫画に登場します。 さらなる詳細は、漫画にて!!

もし宜しければ応援と金銭的サポートをお願い致します。 闘病エッセイ漫画を描く為の材料費にしたり、 生きて行く為に大切に使う事を誓います。