放送大学 日本語学入門第5回「音韻史―音の合流を中心に」衣畑智秀教授

 前回は音素とモーラについての講義であった。今回は音韻史である。これまたほとんど何も知らない。用語を書き出し、教科書に線を引くところから始めた。

どうやって「音」を推測するか

 古い日本語の音を知るには、1549年に伝来したキリスト教宣教師たちが学んだ日本語の資料をたどるのがひとつの方法である。
 こうすると、ハ行子音の音声変化を推定することができる。これが音韻変化の基礎となる。

奈良時代の音韻 ア行、ヤ行、ワ行

 この時代には、ア行の「イ」とワ行の「イ」、ア行の「エ」とヤ行の「エ」、ワ行の「エ」などはそれぞれ異なった音であった。
 「音」「奥」「思ふ」はア行の音、「岡」「惜し」「終はる」はワ行の音であり、「置く」の「お」はア行の音、「招く(遠久)」はワ行の音となっている。

音の合流(1) ア行、ヤ行、ワ行

 さまざまな資料を見ると、ア行の「エ」とヤ行の「エ」の区別は、遅くとも10世紀には失われたと推定される。それよりも先にア行とワ行は「オ」が先に合流(区別がなくなる)し、その後「イ」と「エ」の合流が起こったとされる。

音の合流(2) 四つ仮名の混同

 四つ仮名というのもわたしには聞き慣れなかったが、「じ」と「ぢ」、「ず」と「づ」を指す。それぞれ、濁らない「し」と「ち」、「す」と「つ」は違う音であり、「じ」と「ぢ」、「ず」と「づ」も平安時代には書き分けられていた。じっさいに、「じ」「ず」は破擦音で、「ぢ」「づ」は摩擦音である。
 だが、現代では濁ると同じ音になっている。「し」「ち」「す」「つ」の無声音よりも、「じ」「ぢ」「ず」「づ」の有声音の方が「子音の弱化」が起こりやすく、そこからこの合流が起こったと考えられる。

 今回もわたしにはなかなか難しい話だったが、元々分かれていた音が、音の合流という現象によって区別がなくなっていったというところだけは納得できた。

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