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夢もヴィジョンもないけど、私は元気です


私は、夢や将来のヴィジョンを持ったことがありません。これを言うと「ええ!?」とか「お前そんなんでいいのw」というリアクションを良くされまてきました。真顔で説教をされたこともあります。


学生時代の進路指導。最も答えに窮した質問は「将来の夢は何ですか?」でした。好きなことを、無理やり夢=職業に結びつけようとする雰囲気に、私は強烈な違和感を抱いていました。野球が好き→プロ野球選手。漫画が好き→漫画家。動物が好き→獣医。アニメが好き→声優。んん?


何かを目指して努力することは素晴らしいよ。でも、全員が全員そうなれるわけではないのにな。好きなことは、職業ではなく趣味で楽しみたい人もいるのにな。どこかモヤモヤしてました。


好きなこと・夢・職業って別物じゃない?


私は、出来るだけ自分に向いている職業を仕事にして、稼いだお金と余暇で好きなことをしたい。仕事と趣味のバランスを取りながら、楽しく生きていきたい。ただ、自分に向いている職業をまだ見つけられていない。これから見つけたい。



これは私が高2の時、進路指導のワークシートに記した内容です。自分の心に正直に書きましたが、当時の担任に激しくダメ出しされました。将来を真剣に考えているのか。そんな甘い考え方でいいのか。もっと具体的に、夢やヴィジョンを書きなさい。君は英語が得意だろう。英語を活かした職業なんて、世の中にいくらでもあるじゃないか。



なぜ「好きなこと」と「夢」と「職業」を、安直に繋げさせようとするのだろう。私は真っ向から反抗しました。当時の担任からしたら、相当面倒くさい生徒だったはずです。英語に関連する職業を挙げて、それっぽい理由を2、3書く的な当たり障りのない対応をすれば、すぐに解放されるだろうなということは分かっていました。でも、譲れないものは譲れません。


私は頑として、ワークシートを再提出しませんでした。助言を聞くのは大事でも、自分の中に違和感しかない考え方に、屈することは出来ない。私は当時の担任に言いました。これは先生の人生じゃありません。私の人生です。どんな生き方になるにせよ、他人に無理矢理生き方を決められるのは嫌です。嗚呼、ホント可愛げがない笑



仕事をするために生きているわけではない

こんなことを言いながら、私の場合は好きなことが運よく職業に結びついた部分もあります。とはいえ、そこに明確なヴィジョンがあったわけではなく、流れの中で自然と行きついた感じでした。そもそも、自分の本当にやりたいことが仕事になってますなんて人は一握りだと思います。「やりたいことを仕事にしよう」的な転職サイトのキャッチコピーを見るたびに、簡単に言ってくれるなと囁いている私がいます。



異論反論objectionを承知で書いてしまいますが、天職に就けたという方は、ご自身のやりたいことに偶々需要があったのだと思っています。需要も一定数ないとマーケットにはなりません。勿論、ご本人の才能や努力があることは前提ですが、基本的は「ラッキーな方々」なのではないでしょうかね。多くの人の自分のやりたいことなんて、自分が気持ち良くなるためのもので、相手にメリットがなければ、仕事として成立しないですからね。


私にとって、仕事は夢でも生きがいでもありません。身も蓋もない書き方をすると、時間を切り売りしてお金を稼ぐ手段です。


とはいえ、仕事で手は抜きません。プロとして、常に最善を尽くしている自負はあります。仕事で得られる充実感や達成感は大好きだし、仕事で得た経験や仲間は財産です。相応の対価も頂いています。だがしかし。だがしかーし。それが生きがいかと問われれば、はっきりNoです。生きるために仕事はするけど、仕事をするために生きてるわけではありません。



ごめんねあの時の先輩

こんな感じで、夢やヴィジョンを敢えて持たず、流れに身を任せたいと思って生きてきた私なので、「成功哲学」みたいなのも、正直性に合いません。※お好きな方はごめんなさい。私が苦手だというだけで、否定しているわけではないです。


社会人になり立ての頃、ある先輩に「5年後、10年後のヴィジョンを描け。それを常日頃口に出したり、紙に書いて部屋に貼って目に入るようにするといい」とアドバイスを受けたことがあります。食わず嫌いで否定するのは好きではないので、モノは試しに・・・とチャレンジしましたが、違和感がエグすぎて、3ヶ月でやめてしまいました。


面倒だからとか、そんなことしたって叶わないと思ったからではありません。自分の人生において、5年後10年後のヴィジョンを描くことの優先順位が、極端に低いことに改めて気が付いたからです。

「夢を抱いて、5年後10年後のヴィジョンを描いて、そこに向けて努力をし続けて、それを叶えたヤツこそが人生の成功者」的なその先輩のマインドは、私にとってはとても窮屈で、息苦しく感じてしまったのです。

夢を持ってないと生きていけない世界なんですか?夢がない人間は堕落してるんですか?人生の落伍者なんですか?ヴィジョンがある人生の方が、ヴィジョンがない人生より価値が高いんですか?


当時の私は、納得いかないことがあると、誰彼構わず噛みついていました。今なら、もう少し上手く合わせられる。若さゆえの過ちそのものです。可愛げの欠片もない、生意気な後輩でした。その後、先輩は何も言ってこなくなりました。当たり前ですね。良かれと思って助言してくれたのに。考え方自体は今でも変わっていませんが、わざわざ口に出して直接的に反発しなくても良かったじゃん・・・と、深く反省しています。


「夢やヴィジョンはありません」なんて書けない雰囲気

「夢」とか「ヴィジョン」なんて単語が存在しない時代は、もっと本能的な出処の感情だったんじゃないかなという気がします。「これをやりたい!」「こういう風になりたい!」というのが、自分の中から自然と湧き上がってくる思いというか。元々は100%自発的な感情だったと思うのです。


人間の歴史のとある瞬間に、「夢」や「ヴィジョン」という単語が生まれた。「夢やヴィジョンを持って、そこに向かって努力することに人生の意味がある」みたいな価値観が生まれた。そういう風に教えられた人たちが教える側に立って、教育現場で同じことを言うようになった。子どもは「そういうものなのかな・・・」と違和感を抱きつつ、「夢やヴィジョンはありません」なんて書けない雰囲気を察知する。大人の顔色を窺う。夢やヴィジョンを無理やり捻りだして、それを紙に書く。


そんなことを続けていたら、夢やヴィジョンを持つことが、強迫観念になってしまわないですかね。「やらされてる感」が出ちゃわないですかね。仮に好きなことが夢に繋がるとしても、その段階で、まだ自分が心から好きなことに出会えていない子も、いるんじゃないですかね。


その時点でバチコンと書ける子は素晴らしいと思いますが、書けない子も沢山いるわけです。前者を手放しで褒めて、後者への理解や許容が無いような教育現場では、グレちゃう子が出ても仕方ないんじゃないですかね。


「5年後、○○になる!」
「10年後、○○になる!」
「あなたの夢は!?」
「あなたの将来の職業は!?」
「キャリアのヴィジョンは!?」

先ばかり見て、目の前の大切なものを見失っていないですかね。


毎日笑って過ごせたら、どんなに素晴らしい人生だろう

夢やヴィジョンに向かって、懸命に生きている方は素晴らしいと感じます。そこは自分の考えと切り離して、心から応援したいです。その一方で、こう思う私がいます。いいじゃないですか。夢やヴィジョンがない人生を歩む人がいても。



流れのままに、自然に生きる。日々の中で、自分にとっての歓びや楽しみを見つける。笑顔で過ごす。行きついた場所で、最善を尽くす。そこに困った人がいたら声を掛ける。出来る範囲で協力する。誰かの役に立つ。みんなと笑いあう。夢やヴィジョンがなくても、楽しい人生は送れると私は信じています。夢やヴィジョンがなくても、毎日笑って過ごせたら、どんなに素晴らしい人生だろうと、私は本気で思っています。



「え?お前そんなんで良いの?夢やヴィジョン、何にもないの?」って聞かれたら、「はい。夢やヴィジョンはありません。それでも、日々を楽しく、懸命に、困難から逃げずに生きています」と、胸を張って答えたいです。「あっそう・・・キミがそれで良いなら良いんじゃない・・・」で会話が終わりそうですけどね笑


流れに身を任せて生きていきたい

こんな私でも、勿論先のことを全く考えないわけではありません。ウチは授かれるのかな。仕事での役割はどうなっていくのかな。親の介護はどうしようかな。積み立てNISAどうするかな。生きてる以上は色々ありますね。


計画や準備は大切だけど、先々のことはあまり決めつけたくありません。根本は、流れに身を任せたい。この先にどんなことが巻き起こるんだろうとワクワクしていたい自分もいます。そして何かしらの判断が必要な時は、他者の助言も参考にしつつ、最後は自分自身の直感に委ねます。後になって「失敗したかな」という判断も、経験の1つになるかなと。能天気に考えています。


さて。この長ったらしい文章もそろそろ〆のお時間です。夢やヴィジョンを持っている方からしたら、何じゃコイツって思われてしまったかも知れません。ただ、「夢は持っていません」「将来のヴィジョンは描いていません」って、堂々と言いにくいじゃないですか。だから、そういう同志のために書きました。言って良いと思いますよ。少なくとも、夢やヴィジョンがない自分を責めたり、否定しなくていいのではないでしょうか。


夢もヴィジョンもないけど、私は元気に笑って生きてます。





みなしゃま○┓バンチャース
相変わらずレアキャラのめろでございます。

ここ2か月は創作モードに入ることができず、noteから遠のいてしまっていいるオイラ。生存報告の記事は書かんとなぁ。ただ、何となく生きてますのみの呟き記事にはしたくないなぁと、眠っていた下書きから素材を引っ張り出して書いてみましたが、想像の3倍時間が掛かってしまった(*✪д✪*)



今日は久々に自分の時間を作れたから、みなしゃまの記事を読む時間も確保したかったのにorz いつもの如く、TLざっと見ただけで気になる記事は山ほどありました。大阪のアレとか、140字のアレとか、秋の陣のアレとか、俺のアレとか、もふのアレとか、都々逸のアレとか、ねえさんのアレとか、香深なアレとか、アレ大賞とか。


己が非創作モードにいるのを実感しました。モードに入ってる時はワーッと書けるのになぁ。本当に調子が良い時は、それこそ勝手にタイピングしてるというか。降りてきたものを自動書記してるくらいの感覚になれるんですががが。



今のオイラは、リアル頑張れ負けるなモードのど真ん中にいるみたいです。何も降りてこないから。今はこっちを頑張れと言われてる気がします。



結果的にそうなってしまうことはあるかもだけど、noteに関しては引退も休止も宣言しません。読める時に、読みたいものを、読みたいだけ読む。書けるときに、書きたいものを、書きたいだけ書きます。そんなわがままレアキャラのオイラですが、引き続き仲良くしてやってもいいぜという方は仲良くしてくださいまし○┓オネシャス




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