政治参加と教育を考える

はじめに 

 とんふぃさんの話(2019年7月4日)はとても興味深かった。政治参加とテクノロジーを上手に融合させていたと思う。いくつか疑問に思う説明もあったが、私個人としては、とんふぃさんの考えはおおむね同意でき、興味を持った。
 それを踏まえて、教育(特に学校教育)に関する研究をする者として、また非常勤だが既に教壇に立っている者として、学校における「政治参加」の取り扱い方について、主に近年の論文や紀要を中心に検討していく。

文献Review

 前田・塩沢(2019)では、選挙における投票率の比較や主権者教育の受講状況と投票参加のクロスデータなどを用いて、18歳選挙権をめぐる課題を検討している。15歳~24歳の男女364人のうち、主権者教育として模擬選挙があったと答えた人は、そのような授業が無かった人よりも、選挙に行くと答えた割合が高かった。また、主権者教育を受けたことがあると答えた18・19歳340人のうち、投票に行ったと答え人は65%と、受けたことが無いと答えた人よりも多い結果になった。統計的検定による有意差は見受けられないが、主権者教育を行うことの重要性を提起するデータと言えるのではないだろうか。

 牧野(2018)では、主権者教育としての世界史の授業開発ということで、「近代市民」概念の形成を子どもたちに育成する授業開発を行っている。ここでは、「近代市民」とは、政治的判断力を備え、社会を変革することが出来るようになった一部の人々のことであるが、それは政治参加できるようになった市民であり、現在の主権者に通じていると述べられている。主権者教育では、主に公民科で行われることが多いが、歴史科目においても主権者教育が実現可能であれば、複数の科目を通した教科横断的な学びで主権者養育が実現できるのではないだろうか。

 蒔田(2019)では、中学校社会科公民分野において、民主主義にかかわる事柄がどのように記述されているか確認したうえで、政治学的観点から見た提案を行っている。民主主義の一要素である「政治参加」については、各教科書で記述に厚みの差がある。投票以外の参加方法として、各教科書では様々な方法が紹介されているが、それにも差はあり、できる限り多く者が紹介された方がよいとされている。

個人的な考え

 さて、私は政治について詳しくないが、私自身の考えとしては、学校教育で政治とは何なのか、政治に参加するとはどういうことなのか、といったことについて教えることは必要だと思う。教育基本法第14条において、学校においては、特定の政党を支持する(または反対する)政治教育を行ってはいけないとされている(総務省2015)。しかし同時に、「良識ある公民として必要な政治的教養は、教育上尊重されなければならない」ともされている(指導上の政治的中立の確保等に関する留意点として総務省が出している文書(総務省2015)が分かりやすい)。つまり法としては、教育で政治的教養を身に付けさせてほしいと述べている。教育上尊重されなければならないということは、学校教育においてのみ尊重されるわけではなく、大学や高専といった高等教育機関においても尊重されなければならない。
 少し調べてみると、教育においては「The Politics of Teaching」というように、教授(teaching)の際の政治(学級経営みたいなものをイメージすればよいと思う)という表現があるが、これは政治教育とは関係が無い(と思う)。Hannah ArendtやPaulo Freire、Ivan Illichなどの哲学者の著作は、教育における政治や思想について語られることが多いため、興味がある方は読んでみるといいかもしれない。ちなみに筆者は専門外であるため詳しくない。

余談

 余談として、あまり知られていないが、東大には附属の中等教育学校がある。正確には教育学部附属だが、一般的に東大附属と呼ばれることが多い。教育学研究科の教員が研究を行っていたり、学校全体としては双生児研究を数十年前から行っており、世界でも数少ない研究校である。特徴としては、双生児研究のほかに、生徒全員が取り組む「卒業論文」や、「探求的な学び」、「シティズンシップ教育」などである。特に卒業論文は、まじめに取り組んでいない大学生よりもはるかに高いクオリティである。毎年2月中旬には公開研究会が行われており、授業を見学することが出来るほか、卒業論文を6年生(高校3年生に相当)が紹介してくれるブースも用意されている。(ホームページ http://www.hs.p.u-tokyo.ac.jp/ )

まとめと提言的な

 今回取り扱った文献は、査読付きのしっかりとした論文、というわけではない。そのため学術的な目から見る場合には参考にならないかもしれないが、学校現場でどのような問題意識が取り上げられているのか、という程度のことは想像できるのではないだろうか。
 自分の産んだ子どもではなくとも、自分が関わる子どもが出来たとき、多くの人は教育について向き合うことになるだろう。教育という営みは凡そ全ての人が経験してきたものであり、興味を持つきっかけはいたるところに存在する。自らの専門を活かして、「教育」について考える人が増えることにつながれば幸いである。

引用文献


総務省(2015).私たちが拓く日本の未来【活用のための指導資料】有権者と

  して求められる力を身に付けるために
前田涼太・塩沢健一(2019).18歳選挙権をめぐる課題と若者の投票率・政治

  意識─国政選挙における都道府県別の投票率および世論調査データをも

  とに─ 地域学論集,15(3),63-83.
蒔田純(2019).教科書で教えられている政治と教えられるべき政治 弘前大

  学教職大学院年報,1,9-21.
牧野和也(2018).歴史教育における「近代市民」概念形成の授業開発─主権

  者教育としての単元「「近代市民」の誕生」を通して─ 社会認識教育

  学研究,33,31-40.DOI info:doi/10.24727/00024717

追伸

 そういえば、とんふぃさんの講義に対していくつか疑問があったので載せておきます。いつか何かしらの媒体でこれらの疑問に答えていただけたら嬉しいですね。
①. 政治的無関心として、人の意識に働きかける無意味さを感じたとありましたが、本当に無意味でしょうか。少なくとも私は、中高生に対しては、意識に働きかけることは有効だと思っています。大学生以上になると、政治に関心を向けることの認識(ダサいとか必死感みたいなもの、諦めなどの存在)があり、必ずしも意味があるとは言い切れませんが。
②. Japan Choiceの機能のうち、予算の変化が分かる機能がありました。年によって増えているもの、つまり緑色のものが、政党のやりたいことだと説明していました。一部の物は、高齢化(や他の要因)で必然的になっているだけのもの(つまり自然と増えてしまうもの)があるのではないだしょうか。
③. 公約実現度について、どこまでを実現とみなすか、というボーダーの問題は無視できないと思います。「○○解消」のような公約で、例えば若干の減少が見られたら実現なのでしょうか。統計的有意差が絶対とは言いませんが、公約実現の可否を判定するのは難しいのではないでしょうか(それでも、この機能自体はとても凄いし面白いと思います)
④. とんふぃさん自身の政治志向(この政党は自分の考え方と似ている、日本はこう変わるべきだ、みたいな)はあるのですか?そのような考えが決して無いということはあり得ないと思うのですが。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?