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おばあちゃん

今日は祖母の命日。

祖母は多くのこどもに恵まれた人だった。

幾度となく結婚と離婚を繰り返してきたそんな人だったらしい。

親族は多いはずだが、祖母の葬式に出た人数は限られた人だけだった。
戦時最中ということもあり祖母は生き抜くための術として人と繋がっていくということを選んだんだと思う。

祖父は僕が生まれる半年前に亡くなり、祖母はそれからみるみるうちに腰を悪くし体調悪くしていた。

僕が生まれてすぐの頃はよく面倒を見てくれ、
食べ物の咀嚼をしたものを僕の口に含ませ、
下の世話は当たり前にしてもらい、
四六時中抱っこしてくれた。

おかげで僕の頭の形は丸い。

ただ物心がついた頃の祖母は徐々に歩くスピードが遅くなっていて、腰が曲がっていて。
僕はいつも先を走り、祖母を困らせていた。

小学3年の頃、外で躓いたのを最後についには歩けなくなった。

そこから、祖母が起きれないから起こすこと、
飲み物が取れないから飲み物を取り、
ご飯が食べれないから柔らかいものを用意し、
オムツの中に出た排泄物を取り除くそしておむつを替えるそんなことを見るようになった。

介護に疲弊する叔母の姿。

それでも助ける親族は母か叔母、叔母の姉しか来なかった。

僕は介護なんて出来なかったから、祖母や叔母を笑わせるので精一杯だった。

小学5年生の頃、ついに祖母はトイレにも歩けなくなり、
オムツの中に排泄物を出すようになった。

ある日の祖母は、自分が排泄物を片づける事も出来ず、
我ながらに惨めだったのか泣いてしまっていて、
僕はおむつを替えることをした。

大好きだった、ただそれだけの理由。

体格が1.5倍はある祖母なのに、見てきただけのオムツ替えを一人でしようと思った。

すごく匂いはしたが不思議と嫌ではなかった。
重い体を起こし、つかまり立ちしてもらい、左足を上げ、ズボンを脱がせ、パンツを脱がせ、おむつをとり、お尻を拭き、新しいおむつを当て、パンツを穿かせ、ズボンを穿かせた。
一連の動作はとても大変だったが、僕はありがとうと言われた言葉に誇らしくなった。
きっと、可愛がってもらってきたことへの感謝が、貢献したことで報われたんだと思う。

糖尿病を持病に抱えていた祖母、つまずいて壊死した足。
最後は肺炎で話せなくなった祖母を見て、
小学5年生にしてはじめて人の命がなくなることを身近に感じた。

誕生日を迎える二日前そっと息を引き取った祖母。

祝い事に重ねようとしなかったのか、
それともその時まで祝いたいと頑張ってくれたのか。

意図など無いのかもしれないが、
泣いていた叔母や母を慰める誕生日になった。

命を育くみやがて朽ちていくこと。

それは誰しもに訪れる。

先日、友達の生野さん、井本さん、尾崎さんが話していた、
認知症の方の出来なくなることは子育てに似ていて、
出来ないことを得ていること、そのことが合致した。

育てられた僕は祖母にしたように、行く先、親にも同じようにしていくことになるだろう。

与えられたモノは巡るということ。
こんなところにもあったんだと、嬉しく思った。


今でも麩菓子と氷砂糖を見ると、

「ゆうじろう、食べるかい?」

そうやって話しかけてくれている気がする。

今も大好きなおばあちゃん。
いつも持っている写真には笑顔の祖母がいて。
命を繋いでくれたことを感謝している。



そして繋いでいくのが僕の役目なんだと思う。



「生まれ出た命を全うさせる」


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