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芸術から考える

表現者、表現物と鑑賞者が相互に作用しあうことで、精神的、感覚的な変動を得ようとする活動のことをさす。

wikipediaより

抽象的で難しい、なんとも表現しがたいことだと感じる。

面白かったのはYahoo知恵袋。
岡本太郎氏の「芸術は爆発だ」という言葉を出し、芸術を言葉に書き表すことは困難、且つ書き表そうとしている時点でごく普通の人だと書いている。

一方もう一人の方は芸術は言葉だという。
この方は自分の中にある思考、感情を日常言語ではなく、もっと別の言語(メディア)で表明し他者に伝達する行為を芸術と呼んでいる。

解釈の仕方が混ざることない芸術を僕が考えるなら、これは(このモノ、言葉、映画、音楽など)芸術だとどちらかが発信した時点で成立するものだと思う。

そして芸術度合いはいかに発信と受信の意見の相違が無いかによって決まってくるように感じる。


もともと僕は絵を描くことが好きだった。
大人になってから幾度となく再開し辞めを繰り返している、語るなよってやつだ。
アーティストでもない自分だが、ドライフラワーの作品を創る中でより感性を高めたいと思った。

今行っている1から2の作業ではなく、0から1の生み出す苦労を知って、あるモノをより綺麗に魅せるという力を生み出したいと思ったからだ。

これには理由があって、自分のブーケをきれいだと評価してくれる方はいるが、発信者のエゴによって届く方が限定されていないか心配になったからだ。

もし綺麗だという評価が花本来の美しさとなれば、それは芸術ではなく自然美。
そうすると自分が手を加えたことによって起こる足し算は1+1かもしれないし、1+0.5かもしれないと思う。
自然美をより美しく見せる感性を磨きたいというところに至った。

目指すところはアーティストではない。
けれども廃棄生花を使う以上、そのモノの役目を全うさせると言っている以上は、そのモノが最高に輝ける瞬間を創ってあげたい。
本来持つ自然美以上の力を発揮させたいのだ。

先日現代美術家の鈴木涼平君の作品を見た。


彼自身は在学中で数多くの作品で入賞しており大賞を獲るなど活躍をしている。
世界一になる為に日々行動をする彼に触発されたのだ。

芸術家の感性は計り知れない。
作品を見て、発信している意図を120%で読み取ることは不可能だと考えている。
一方で受け取る方は多数いるため千差万別。
芸術が成立することは改めてハードルが高いと実感した。

作品を通してよく見えたことや見えることはその人の生い立ちや何を経てきているかを見ることだ。
元々の天性のものはあったにしても、過程が影響することをよく実感しているからだ。
鈴木君の場合、成功よりも失敗を多くアウトプットしてるように感じる。
それは彼の個性であり魅力。
アートに想いを乗せ、仕上がった作品を見た時昂った。

モノを創り上げることによって、非常に抽象的なところに一石を投じている姿に惚れてしまう。

数多くの芸術家がそのような軌跡を歩むのだろう。
名も無き僕の生み出しているモノにも、理解し難いかもしれないが意味がある。
そのことをより多くの方に伝わるように、一方通行でも発信しなければならないのだと彼から学んだ。

皆芸術家になりたいのではなく、想いを届けたいのだと僕は考えた。

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サポートしていただきましたら、規格外の花を使ったドライフラワーを活かした活動を広げていきます!!! よろしくお願いいたします😌