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【エッセイ】否定も肯定も。

こんにちは。

最近、多様性多様性と言われていますが、その言葉だけで色んなことが一括りになっている気がします。

例えば、恋愛における“重い”か“重くない”か論争。

これは、相手が自分と似た感覚がどうかによると思います。

先日、この話になりLINEの頻度に話が派生しました。

ある人は、毎日は嫌だ。

ある人は、まぁまぁって感じ。

私は、相手のペースに合わせるので、よく分からないと。

以前、お付き合いしていた方は朝のおはようから夜のおやすみまで、LINEが来る人で、それに併せていました。

1日100回のやり取りは当たり前みたいな。

結構、シンドイとは思いながら、遠距離だったので仕方がないのかなぁと受け入れていました。

その方は、どこに誰と行くとか今帰ってきたとか、そう言うのもぜーんぶLINEしてくるから、安心させたいという反面、自分は潔白であるとでも言いたかったんだと思います。

実際、私以外に沢山の人と遊んでいたのは知っていたので、最後の方は何も思わなくなりました。

ある人は、いつ会えるの?という連絡も嫌だと言っていました。

会いたいから、会うのを楽しみに頑張りたいから、いつ会えるの?という連絡になるのではないかと思いました。

いつ会えるの?が嫌な人は、今から会える?って自分の都合しか優先しないような気がします。(実際にその人は、アラフィフ独身です。)

要は、そのペースというか考え方が同じかどうかで、間違いなことなんて1つもありません。

好きと言う気持ちがあったとしても、どちらか一方が我慢ばかりしなければならない関係では長続きはしません。

まだまだ(年齢的に)いけますよと言われても、そこに割く時間を考えると、ルーティンが出来てるから、何かをやめなければいけなくなります。

実際、お付き合いしていた方がいた時期は、趣味はほぼやめていました。その趣味が相手は好きではなかったり、一緒に楽しもうとしたけれど、映画館やライブで爆睡されて、恥ずかしいし演者に申し訳ないし、周りには迷惑でしかなく…1人で楽しむことにした経験があります。

会う時間を確保出来ないなら、いっそのこと、もう一緒に暮らしたらいいんじゃないかと最近は思うようになりました。

勿論、相手はいないし、探すような活動もしていませんが。

結局、1人が楽なんですよね。現実的には、両親がいるので1人ではないし、1人の時間なんて殆どありません。

いつか、こんなんでもいいと思ってくれる人がいて、私もいいかなぁなんて思える縁があれば、また考えたいと思います。

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