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生い立ち(小学生から高校入学まで)

16歳までは山に囲まれた田舎育ち。
父親は休みも殆ど無く朝から夜遅くまで仕事をしていたし、母親も同じ職場で夕方まで共働きで、地域の中では裕福な家庭だったと思う。
保育園の頃から中学卒業まで、エレクトーン・そろばん・お習字・塾・テニス・お琴……
色んな習い事をさせられていたし、新築一軒家に住んでいて、側から見たら不自由の無い良い暮らし。

でも私は、保育園の頃から中学卒業までイジメられていて、無視をされたり指を刺されて笑われたり、急に突き飛ばされたり体当たりされたり、ばい菌扱いされたり……
それがつらくて悲しくて小学生の時『学校へ行きなくない』と母親に相談したら『どうしてやり返さないの!』と叱られ『情けない』と呆れられたのが余計に悲しくて、母親に話しても分かってもらえないし叱られたくないから、それ以降は母親への話は嘘ばかりになったかなぁ…

友達が全くいなかったわけぢゃないけど、イジメてくる子に会いたくなくて、学校へ行くのも嫌なのに学校のあとは習い事でも顔を合わせる日々にうんざりで、よくサボっていた。
今思えば病んでいたと思うけど、小学生の頃はよく学校の前の道で轢かれた猫や鳥を拾ってきて、学校裏に埋めては掘り返しを繰り返して観察してた(笑)
原形が分からないほどにグシャッと潰れて血の固まった体にびっしりと湧く蛆虫、土に埋めて骨になるまで観察して、骨になったら洗って家に持ち帰ってたなぁ…
『人も同じかな?』『骨、かっこいい』ぐらいにしか思ってなかったと思うけど、それが親にバレたのか、ある時保健室に呼ばれて、定期的にカウンセリングを受けさせられてた。
そりゃまぁ…親や先生は不安だょね(笑)
何度か『埋めてた動物はどうしたの?』て殺してないか確認されたけど、もちろん殺した事は一度も無いょ!
道に落ちてた猫や鳥をビニール袋で掴んで拾ってただけ。

ちょうどその頃、友達と川で遊んでいた時に水死体を発見したり、学校帰りに女性が車に轢かれる場面を目撃したりしたことで、死についても考えてたけどね。
元々、理科室のホルマリン漬けに心奪われてたし、不気味なものやグロい描写、血を見るのが好きだったけど、死体を見た影響もあったのかなぁ…

でも母親の嫌がる顔を見て『知られたら嫌われる』と思ったから、好きなものや好きなことについては誰にも言わないようにしてて、いつしか言いたくても言えないようになってた。

中学一年の夏休み明けからは、もぅどうしようもなく教室に行きたくなくて保健室登校してたけど、当時の担任の先生は金八先生に憧れる熱血教師で保健室登校止めさせる為に、クラス全員連れてきて『ひなちゃん、一緒に教室に帰ろう』茶番劇繰り広げてきた(笑)
ドラマみたいな感動的な場面を思い浮かべていたんだろうね…残念。
そんな事されたらさ、余計に行けなくなるって何で分からないの?って、もぅ学校行けない!って先生に訴えたら、特別学級と空き教室への登校を校長先生に直談判してくれて、それ以降は教室へ行かなくてもいいようにしてくれたし、親にもバレないようにしてくれてた。
先生的にも不登校になるのが1番マズいらしくて、先生の時間がある時はずっと側に居てくれたんだけど、以降3年間担任だったのはヤバい(笑)
普通は学年が変わる事に先生がローテーションで変わるし、3学年3クラスあったから、一度は絶対担任が変わるはずだけど、3年間同じ先生が担任だったし、みんなが授業中にドライブ連れてってくれたり、一緒にお菓子食べたりしてて楽しかった(笑)
相変わらず母親には嘘ばかりで家に居場所無かったし、イジメもあったけど、先生が居てくれたから生きてこられたと思う。

中学を卒業する年の2月、父親を肺ガンで亡くした。
あまり家に居なかった父親だったけど、顔色を伺って嘘に嘘を重ねてしか話せなかった母親と居るより、気を遣わないで素直になれる父親の側にいるのが好きだったから、物凄く悲しかったし正直その頃の記憶は曖昧で所々しか覚えてない。
母親は家事と看病とで疲れもあったし、父親が亡くなったショックで食事も取れず動けずにいたのは覚えてる。
お葬式の日の朝も父親の死を受け入れられなくて泣く私に母親の妹から『いつまで泣いてるの!長女なんだからしっかりしなさい!お母さんを支えてあげなきゃいけないでしょう!』と叩かれ叱られ、泣く事も許されないなんて!好きで長女に生まれたわけぢゃないのに!お母さんもおばさんもみんな大嫌い!!と当時日記に書いてたし、今でもたまに夢に見る。

母親が動けないからしばらくは祖母が家の事をやっていたし、母親の事で精一杯だったからか祖母と話す事も出来ず家に居たくなくて、学校からは休めと言われていたけど次の日から登校した。
そこまでの記憶はあるけど、中学卒業式と春休みと高校入学式から夏頃までの記憶がほぼ無い。

高校へは電車で通っていた。
家から駅まで車で10分、毎朝母親が送ってくれて、電車で1時間、そこから高校まで歩いて40分……
毎朝5時起きは大変だったし、その頃私は知らなかったけど心労から立ち直った母親も父親の親族と揉めてて大変だったと思う。
私は、イジメられていた自分から変わるなら今しかないし、もぅイジメられたくないと思っていたから必死だったなぁ……
今だから話せるけど、あんな事になるとはね……

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