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「凄く」なれなかった元パティシエが考える。誰でも作れる「おうちおやつ」について

「独身の頃、パティシエしてた」という話をすると、相手からは「凄い」という反応が返ってくる。

残念ながら、私は何も凄くない。

東京とフランス、さらに地元でパティシエの仕事で生活をしていた私は、多くの「凄い方々」と出会い、共に働き、素晴らしい経験をさせてもらった。

その方々は誰もが

情熱、体力、気力があり、物怖じに勝る好奇心を持ち、自分自身を信じていて、夢を持っていた。

「好きなことを仕事にする」。それは一見、幸せなことのように見えるが、残念ながら「好き」には個人差がある。

職業にもよるので一概には言えないが、努力では埋められない才能は存在する。もちろん努力できるということも才能の一つだ。それもその対象に向ける「好き」がなせる業のひとつだろう。

また従事していれば後から愛が湧き出てくることもある。こと職人系の職業に関しては、非常に運がいい話だとも言える。

とにかく、「やっぱり大して好きじゃなかったわ」という程度では到底やっていけない。少なくともいずれ訪れる挫折を越えられる程の情熱が必要だ。

私が思うパティシエにおいての情熱目安ラインは、決して多くないお給料のうち、自分で材料を買って家でお菓子を作る。とか、早朝や終業後の時間外の職場利用の交渉をしてでも技術の練習や作品を作りたいか。とかあたりだろうか。

ホワイト企業とかブラック企業とか、そういう次元の話ではない。お菓子に触れていたい、自分の実力を向上させたい。ただそれのみが機動力なのである。

それを見越して、「パティシエやってた」の回答が「凄い」であるなら確かにそうだ。世界中で日々お菓子を作り、腕を磨き、誰かを魅了し、幸せのお手伝いをし続けるパティシエを、私は心から尊敬しているから。

パティシエという肩書きを失ってからの私は、お菓子と向き合えない時期もあった。自分なりに毎日朝から晩まで一生懸命やったつもりだったが手元には何も残っていない。

……本当に?

それでも信じているのは、お菓子は人を幸せにするということ。また、お店のケーキとは違い、自宅でものお菓子作りは別の役割を持つこと。

お菓子は冷まして少々寝かせてこそ美味しくなるものだって少なくない。

が、家庭で食べるまだ水蒸気が籠っているクッキーは家庭の味として楽しめる。パウンドケーキやフィナンシェの焼きが強いカリカリの部分は食感もある。カットがいびつだって全然かまわない。商品じゃないからそれもまた可愛らしい。そして間違いなく新鮮だ。

子供に作ってあげるなら、大人になっても記憶に残る。

興味があるけど腰が重いと思うそんな方向けに、専門学校と職場、独学で学んだことを私のnoteに置いていこうと思う。どれも、手軽で気軽なお菓子の話。

簡単なレシピの紹介。

砂糖は減らしてもいいのか。

バターは溶かしちゃだめなのか。

微量しか使わない材料は省いてもいいのか。

疑問を持ったまま作ると疲弊するもの。もうしばらく「お菓子作りはいいや」って思うもの。

レシピを開いたのに作らなかったことや、無塩バターが高くて躊躇した記憶を蹴飛ばして

あなたも、家庭の中だけでこっそり味わう「おうちおやつ」をまず1つ ―――。

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