見出し画像

検非違使別件 六 ⑫

 そのまま真っすぐ千歳丸の住まいまで行ってもよかった。だが、仁木緒は荒彦が女を殺めて火を放ったという藤原登任の邸を見ておくつもりだった。
 白杖、退紅色の狩衣をまとった仁木緒の左右では、青菜を盛りつけたザルを抱えた女たちや托鉢の僧が歩いている。漆黒の牛車がゆったりと車輪を回していた。
 右京三条の目的の邸前まで来ると、仁木緒は築地壁を見上げた。藤原登任の邸は庭園のどこかに巣でもあるらしく、カラスが群れている印象を受けた。
 裏門へ回ってみると、黒焦げになった材木が置かれてある。おそらく伎楽殿の残骸であろう。新しい木材を運び入れている様子もなく、酸化した床材などをそのままにしてある。舞台を再建するつもりはないらしい。
 門前から敷地を廻ってうかがったが、活気が感じ取れない。かといってひっそりと静まり返っているのではなかった。敷地の内側で、荒々しい男たちの哄笑とカワラケが割れるような物音が響く。
 仁木緒はぎょっとなって耳をそばだてた。
 こちらの動揺を悟ったかのように、邸内は一度シンと静まってから、ドッと何かをはやし立てる声がした。明るいうちから酒宴でも開いているのかもしれない。
 仁木緒は左右を見た。近所の者にこの邸に勤めている男たちの様子を聞きたかったが、誰も通りかからない。
 高い塀を見上げて、そのなかにあるという焼け落ちた伎楽殿を脳裏に思い描きながら仁木緒はきびすを返した。
(かつては黄金を産出する陸奥国のかみをつとめた貴族の邸にしては、雅やびと華やぎに欠けているようだが……)
 そのまま南へ進んだ。山小路を目指すつもりだった。しばらく進むにつれ、背中に気配を感じた。
(千歳丸を訪ねる前に、おれを尾行つけている者の正体をつかまねばならぬ)
 彼らは仁木緒が小店の前で止まれば止まり、横道にまぎれれば同じ横道を曲がってくる。気配で三人は数えられた。
(一度に相手にするには、少々手に余るな)
 大路へ引き返し、雑踏にまぎれてまいてしまおうか。逆にこちらが連中の背後に回りこみ、一人を捕まえられれば良いのだが。思案しながら人ごみの流れに足を踏み出したとき、仁木緒はハッと呼吸を止めた。
 大路を行き交う人々の顔と肩の隙間から、一人の尼僧の後ろ姿が視界に飛び込んで来た。
 頭部を覆う白い尼僧頭巾と墨染の衣が風にひるがえっている。すそをさばいて歩くそぶりは毅然としていた。一目であの人だと直感した。
(……泥蓮尼)
 声をかけるには、距離がある。自分と尼僧との間に人が多すぎる。
 正面から歩いてくる烏帽子の男とぶつかりそうになりながら、仁木緒は尼僧を追った。右肩が別の誰かとすれ違い、左の袖が布の包みを抱えている者とぶつかる。
「すまん、急いでいるんだ。どいてくれ」
 肩に荷物をかついだ男たちの群れが視界を覆う。路地の端へ身を寄せてやりすごせば、横道から犬を追って現れた子どもたちが歩調を乱す。見失ってはならぬ、と焦燥した。
 肩を斜めにして人ごみを割り、仁木緒は夢中でその方向に視線を飛ばす。
人々の顔や肩の隙間に後ろ姿が見え隠れしている。尼僧頭巾はまぶしいほど白い。
 夢中で追いながら、振り返ってくれ、と祈った。その顔を確かめたい。
 背後でも、尾行者たちが群衆を割って執拗についてくる。
 陽は高くなっていた。大路を右へ折れた。そのころになると、ようやく人ごみが切れはじめた。

(ここいらは、六条……)
 左京に比べてさびれた右京であっても、内裏に近い三条あたりは貴族の邸が建ち並ぶ。
 だが、それより南となると桂川や天神川の氾濫で人家が押し流されることが多い。自然、商家は少なく湿地はそのまま放置されていた。
 先刻までの人の流れが幻であったかのように、寂しい田舎道に入った。左右に葦原が広がるだけの一本道である。
「泥蓮尼……」
 もはや呼びかけるまでもなかった。尼僧はそれと察して歩を止め、半身をこちらに向けている。
 やはり、間違いではなかった。鈴のような目も、紅も差さぬ形のいい唇も、あのときの泥蓮尼だった。意外に思ったのは、その表情である。
(おれを知るはずがない。着鈦の政の前日にすれ違ったにすぎぬのだから)
 脳裏で自分に言い聞かせていたが、泥蓮尼の瞳には怪訝そうな色はなく、はっきりと相手を見覚えている風情だった。緊張のせいで頬を蒼白にしている。
(一目で看督長と分かるこのいでたちに、困惑しているのだろう)
 泥蓮尼の瞳に浮かぶ強張りを自分なりに解釈してみたものの、軽い違和感を覚えた。このときにはすでに、仁木緒はおのれの尾行者たちの存在を忘れている。
 もう急ぐことはなかった。心持ち歩幅を大きくし、仁木緒は尼僧に近づいた。あと二間の距離まで来て、泥蓮尼は「あ」という唇の形をした。
 仁木緒を追い抜かし、ばらばらっと三人が取り囲む。ぎょっとして仁木緒は立ちつくした。左手に持った白杖をつかみ直す。
 仁木緒の正面に回り込んだ男はすでに、衣の袖をまくり上げている。せまい額と高い頬骨、攻撃的な獣を思わせる小さな目に嘲笑をにじませている。若い尼僧に向かって錦行連ゆきつらが歯をむき出した。
「誰かと思えば泥蓮尼ではないかッ。去れッ、巻き添えで死にたいのかッ」
 泥蓮尼の左肩を突き飛ばした。更に蹴飛ばそうと足を上げる。しかし、尼僧は意外な素早さで身をひるがえした。男の片足が目的を失って空を切り、地面に前のめりになる。
 数珠をつかんだ左手を突き出して、泥蓮尼が相手を責めた。
「突然、何をなさいますか。恥を知りなさい」
「生意気を申すなッ」
 錦行連が拳を振り上げる。その手首を横からつかんでねじり上げたのは仁木緒だった。そのまま仁木緒は泥蓮尼を背中にかばった。
「泥蓮尼……。あなたから話しを聞きたかったのだが……」
「わたくしに?」
「忙しくなりそうだ。逃げてくれ」
 懇願したが、尼僧は躊躇している。駆けだす様子がない。この三人の武士たちが泥蓮尼を見知っているらしいことも意外だった。
 仁木緒の手を振りほどき、錦行連が向き直って腰を沈める。手は太刀の柄にかかっていた。
「佐伯仁木緒! 血祭りにあげてやるッ。その尼僧も共に死ぬがいい」
「なんの遺恨だ、錦行連どの。刑部省の錦景時さまのご命令か?」
 わざと名を出したのは、泥蓮尼の耳を意識してのことである。これで自分が討たれても、刑部省と錦の名が検非違使庁に届けられるだろう。
 仁木緒の肩影で、尼僧がささやいた。
「すぐ人を呼んで参ります。どうぞ持ちこたえてください」
 墨染の衣をひるがえし、尼僧は葦原の茂みへ分け入った。
「追うか? 追って口封じするか」
 三人の中でも童顔の武士が、葦原を進んで行く泥蓮尼をにらみつける。その視界に素早く仁木緒は回り込んだ。腰を落として白杖を構えている。
「おい、なんの遺恨かこたえろ」
 すかさず錦行連が童顔の武士を怒鳴りつける。
「尼など後回しじゃ。わしらはこやつを斬ればよいだけのこと!」
「ではやはり、刑部省の錦景時さまのご命令だな?」
「は! おぬしのような下賎な者の命を奪うことに、いちいち命令などいるものか! 我らが主、景時さまを愚弄した検非違使庁への仕返しじゃッ」
 仁木緒は正面の錦行連とその左右にいる烏帽子の男たちをぐるりと見まわした。
「石川彦虫という男を知っているな」
 とぼけるものと思っていたが、興奮している男たちは即座に唇をゆがめた。
「死んだか? あやつ、死んだであろうな」
「錦景時さまご本人が、あの男を打擲なさったのか」
「我らの主が、あのような下賎な者に触れるわけがない」
「そうか。お前たちのような血の気の多い男なら、瀕死の石川彦虫を木の枝に吊るすというわけか」
「当然のむくいだ。いい加減な密告で、景時さまの体面を汚したのだからなッ」
「気に食わぬから、ちょっといたぶってやっただけのことじゃ」
「あやつ、虫の息で命乞いしておったわい」
 錦行連と連れの二人の武士が口々に嘲笑する。仁木緒はムッとあごを引いた。
「おぬしらが石川彦虫を責めた場所はどこだ」
「今更そのようなことを聞いてなんになる」
「刑部省庁舎か、あるいは錦景時さまの邸か? 石川彦虫の足取りを調べれば、すぐに判明するぞ」
「証拠固めのつもりか? 愚かしい。何をしたところで石川彦虫など急死の一文で、片付けられるだけであろう」
「その通りだ。だが、死に至る暴行を検非違使庁下部の者へ刑部省の息のかかった者がほどこしたとなれば、これ以上、妙な言いがかりをつけることはできまい。おぬしらの腐った忠誠心のせいで、検非違使庁は石川彦虫の殺害を『挑戦』と受け取るぞ」
「なんだと……ッ」
「分からないのか? 看督長殺害に刑部省が関わっているなどと刑部省は認めなくても、おれたちにとっては仲間が殺されたのだ。検非違使が本腰を入れて追及すれば、錦さまとておぬしをかばいきれまい。いずれ犯人を差し出さねばならなくなる。錦景時さまとおぬしは同族。一族の恥をさらさぬために、刑部省はもうこの件から手を引くさ」
 石川彦虫が殺されて、別件の捜索がやりやすくなった。
 そう口にしたとき仁木緒はそこまで考えていたわけではなかった。だが、憶測はついていた。
 仲間の死によってただ秘密が守られるだけでなく、この殺人が刑部省へのけん制に使えるだろう……と。
 尾行を感じ取った段階で、この襲撃も予想しなければならなかった。
 仁木緒の甘さは、まさか錦行連がここまで凶悪だとは考えていなかったことである。同時に、泥蓮尼を見つけて追いかけるうち、尾行者の存在を忘れていたのはまったくうかつだった。
「きさまの遺骸を獣に食わせてやるッ」
 童顔の武士が叫ぶなり、太刀を抜き放つ。白刃を頭上に振りかぶる。即座に仁木緒の白杖がそのみぞおちを強く突く。上半身を折り曲げ、口からグッとくぐもったうめき声をあげて童顔の武士が転倒した。
 左から白刃が振り下ろされた。突きの姿勢で地面と平行にしていた白杖を左に振りきり、仁木緒は相手の手首に打撃を加えた。ガランと音を立てて相手の太刀が足元に転がる。すかさず仁木緒は葦原の中へ太刀を蹴飛ばした。
 首筋にも強打を食らわせたかったが、正面の錦行連が襲って来た。腰を沈め、白杖を左右の手で持ち上げて錦行連の太刀を受けた。
 鋼の刃が白杖に食い込んでいる。せまい額と凶暴な光りを宿した小さな目がありありと近づいた。力で押し切り、白杖を断ち切って仁木緒の烏帽子から額までを叩き割りたいのだろう。
 童顔の武士はみぞおちを押さえてうずくまっていた。手首を打たれたもう一人の武士は葦原へ分け入って、太刀を探している。
 童顔の武士がよろめきながら態勢を整え、太刀の柄を両手でつかむ。切っ先をこちらへ向けて気合声を上げた。突進してこようとしている。
「手出しするなッ。こやつはわしの獲物じゃッ!」
 錦行連が歯をむき出して怒鳴りつける。仲間がビクリと肩を震わせた。
 それが隙になった。仁木緒は右へ体を返し、すかさず左手を白杖から離した。錦行連の太刀先が左へずれる。白杖を握ったまま右の拳で相手のこめかみを強打した。後方へたたらを踏む錦行連を追い、白杖をくるりと返して正面から頭頂に叩きつける。がッと強い手ごたえが跳ね返ってきた。
「ぐあ……ッ」
 烏帽子が落ち、額から血が吹き出す。太刀で切れ目が入った白杖の胴が二つに折れる。錦行連の背後で童顔の武士がたじろいだ。
「お、おのれ……ッ」
 葦原から太刀をつかみ出してきた武士が、仁木緒の前に走り寄る。みぞおちの痛みをこらえならが、童顔の武士が錦行連の体を抱える姿勢で後退した。
 錦行連を打ちすえた姿勢から、仁木緒は左に体重をかけて背後へ跳ぶ。とたんに、かかとに強い痛みが走る。石につまずいたのだ。でやあッという気合声が響き、陽光をはじく白刃の輝きが強くなった気がした。
 たったいまと同じく白杖で太刀先を防ごうとしたが、すでに二つに折れている。長さが足りない。一度は太刀先を払いのけたものの、そのままあおむけに転んだ。相手がのしかかって突き刺しに来る。右に体を反転させた。たったいままで仁木緒の首があった地面に太刀先が突き刺さる。そのまま二転三転するが、動きに合わせて執拗に切っ先が追ってくる。地表に噛みつく太刀先がガッガッと音をたてた。
 再びあおむけになった。すぐ上に刃が掲げられている。光りをはじく切っ先が深々とおのれの胸に食い込むかと思えた直前、短くなった白杖で必死に横に払う。袖が切れ、皮膚も浅く切られた感触が走る。
「……うッ」
 葦原から何かがびゅっと飛んで来た。それがまともに顔面にぶつかって、いままさに仁木緒の心ノ臓に太刀先を突き入れようとしていた武士がのけぞった。
「早く、みなさま。あの人をお助けしてッ」
 葦原の茂みが割れ、慌ただしく人々が一本道に現れた。先頭にいるのは泥蓮尼だった。人々はそのあたりの百姓たちで、子どももいれば老人もいた。みな、両手に泥の固まりをつかんでいる。
 目を疑ったのは、そのなかに稲若がいたことだった。
「佐伯さま、大丈夫かいッ」
 真っすぐ駆け寄ってくる。
 わあっという掛け声があがり、一斉に泥が武士たちに投げつけられた。
 黒い泥濘の飛来に圧倒され、三人の武士たちが狩衣を汚して逃げ去っていく。その様子が滑稽で、子どもたちが遠慮のない笑い声をはじけさせる。
 そんな喧騒を仁木緒は腕を支えに半身を起こした姿勢で、ぼうぜんとながめていた。

#創作大賞2024 #ミステリー小説部門

この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?