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検非違使別件 一 ②

 翌日。

 囚人たちを獄舎から出して点呼し、枯れ井戸の近くに整列させた。看督長だけでなく、放免ほうめんという検非違使庁で使っている元罪人たちも駆り出され、未決囚たちの列を監視する。

 周囲はすでに野次馬たちが群れをなしていた。引き出された獄囚たちを指さしてはやし立てる者、胸中に葛藤が生じて涙を流す者もいる。そういった人々を当て込んで、飴や餅を売りつける物売りもいた。

 笛の音が流れて来た。陽気な高い調子の笛の音律に、ハッと人ごみがそちらに顔を向ける。仁木緒もまた、一場が開けたところへ目をやった。

誰もが注意をそらされたのも無理はなかった。そこには美しい衣装をまとって踊る女と笛を奏でる童子がいた。

 天女が舞い降りたかのような舞姫は額に翡翠色の花鈿かでんをほどこし、唇にはくっきりと目にも鮮やかな紅を差している。結い上げた髪には動くたびにシャランと音が鳴る白銀色のかんざしを挿し、細帯で腰を引き締めて裾の長い裳をまとっていた。笛を吹く十歳くらいの童子はさわやかな草色の水干姿で、薄く白粉を刷いたその顔立ちは気品があった。

 誰もが道を開き、どよめきの声とため息をつくのも無理はなかった。

 手首をおおう舞姫の長い袖は一丈以上あるだろう。それ自体が美しい生き物のように天空へと舞い上がるかと思えば地上の舞姫を慕って駆け戻り、舞姫が左右に大きく腕を広げれば再び地面と平行にたなびくのだった。

 たっぷりとした薄色の彩雲を真似た袖の動き。笛の旋律に合わせ、巧みにそれを操る舞姫は空中で足を広げて跳躍し、仮面のように濃い化粧をほどこした口元で微笑んでいる。

 野次馬の中には、舞踏と笛の音に合わせて足踏みをし、手拍子をつける者まで現れた。
 ますます踊りは軽やかになり、袖布の動きも風を受けながらふくらみ、弧を描き、たなびく。舞姫の笑みも妖艶に深まった。

 その場にいる獄囚も野次馬も、仁木緒ですら、全員が舞姫の動きに魂が奪われた。

 いよいよ笛の音が高まる。舞姫の長い袖布が空中に乱舞する。手元にもどった袖布を一度つかみ、笛の旋律に合わせて素早く投げ上げる。そうしてから片足を高く上げて身をそらす。素早く体を反転させ、舞姫の裳の裾が優雅に広がった。観衆らがどよめきの声を上げる。

「宋の舞姫か、内教坊ないきょうぼう伎女ぎじょであろうか」
「いやいや、風の精であろう」
「儀式前に眼福なことじゃ」
 合掌し、笛を吹く童子の前に置かれたカワラケの中に銅銭を投げる者もいる。

(あの舞姫……)
 仁木緒は舞姫の手足がのびやかに動くのを目で追いながらも、唇と目じりに紅を差したその顔立ちに、何かひっかかる心地がした。

 舞姫の分身である袖布が風に舞う。天空へと吸い込まれそうな高さへと。人々の視線がつられたように袖布の行く先、空へとそそがれた。

 いつのまにか、舞踏しながら獄囚たちの列に舞姫は近づいていた。

「あ……ッ」
 仁木緒が駆け付けるまでに、地上へ舞い降りた袖布は枯れ井戸と獄囚の列の一部をおおっていた。笛の音が途切れる。
「さゆりさま、お早く」
 笛の童子が透き通った声をあげる。舞姫はさゆりという名前らしい。

 裳のすそを蹴って一気に駆け寄るなり、舞姫が袖布を引き上げて胸に抱くのと、仁木緒がその場に駆け付けて獄囚たちを舞姫のさゆりから引き離すのが同時だった。

 野次馬も囚人たちもどよめいている。口を開いて舞踏に見入っていた放免たちが、あわてて野次馬を列から追い散らす。
「下がれ! 列を乱すな!」
 獄囚たちが騒ぐのを押さえて仁木緒は振り返った。枯れ井戸とイチイの木を背景に、たっぷりとした袖布を胸にかかえてしゃがみこんでいるさゆりがいた。舞衣装の袖布には誰かがくるまっているらしいふくらみがある。

「舞の芸は素晴らしかったが……」
 仁木緒はなんと口にするべきなのか迷いながら、舞姫さゆりに近づいた。
「このようなむさくるしい男たちがいる場だ。危害を加えられてはいけないから、わきまえてもらいたい」
「風で袖が大きく流れてしまっただけですわ」
 さゆりは悪びれぬ笑顔を浮かべ、袖布をきつく抱いている。立たせようと仁木緒は手を差し出したが、それを無視してさゆりは袖布を抱いたまま立ち上がった。袖がごそごそと動き、袖布の隙間から笛が突き出て来た。
 仁木緒がハッと思う間に、笛は引っ込んだ。
「……袖の中にいるのは、笛を吹いていた童子か? どういう手綱てづな(手品)だ」

 ぼうぜんとつぶやく仁木緒以上に、群衆が沸いた。指さして老人が驚愕の声を上げる。
「なんと! 童子がそこに」
「おお、たったいままで笛を奏でていた童子が袖の中にいるそうな!」
「ありがたや、ありがたや。天女の技じゃ」
 歓声をあげている。中には手をすり合わせて念仏を唱える老婆もいた。

 人々の群れのどこかに笛の童子が隠れていて、この袖布の中にいるのは別人であろう。
 仁木緒はそう見当をつけたものの、やはり珍しいモノを見たという感動は押さえきれない。
 袖布にくるまった人物の足元に素早く視線を走らせると、草色の水干袴をはいているが裸足である。しかも、足首からつま先まで汚れている。
 このときもやはり、仁木緒は何か心にひっかかるものを感じた。
(もしや、囚人が?)
 疑いが頭をもたげる。強引に舞姫の袖布をどけて中の人物を検める必要を感じたものの、ためらった。
(まさか、獄囚が笛を持っているはずがない。それに厳粛な儀式の前だ。舞の上手な芸人をむやみに侮辱して騒ぎを大きくするわけにもいかぬ)
 小さな騒動を起こした舞姫へ、軽い反感をにじませた声色を投げつけた。

「とにかく、遊興の芸はよそでやってくれ」
「はい、そういたします」
 殊勝にうなずくと、舞姫は人を袖布でくるんだまま背を向けて歩き出した。群衆が割れ、さゆりたちを飲み込んでいく。

 仁木緒はその姿が見えなくなるまで、ややぼうぜんとしていた。
 視線を枯れ井戸に戻すと、そこにぐったりと倒れている髭面の男がいる。
 つかつかと歩み寄った仁木緒はその男を軽く蹴った。
「おい、お前はなぜここで眠っている」
 野次馬の一人が酔いつぶれているのだろう。そう見当をつけるのに充分な強い酒精を男の息が発している。
 仁木緒は眉をひそめた。
 男の寝顔があまりにすさんでいるせいで、もしや、と思った。
 この男こそ、どさくさまぎれに脱走しかけた獄囚かもしれぬ。だが、眠っているとは解せない。
「おい、起きろ!」
「……うう」
 髭面の男が身じろぎしたとき、紀成房が走って来た。
「何事じゃ。芸人が騒いだと聞いたが」
「囚人どもの列に舞姫の衣装の一部がかかっただけです。怪我人もおりません。ですが、こいつが眠っていて、列の移動に支障をきたしております」
 あごで示された髭の男の前にかがみこみ、紀成房がハッと息を止めた。

「こやつ、能原門継よしはらのかどつぐではないか……ッ」
「えッ。確かですか?」
「この大きな体格、それに」

 紀成房は髭の男の額をぐいと持ち上げた。烏帽子のふちから垂れる蓬髪の隙間から、左右の眉の上と眉間にそれぞれほくろが一つずつ数えられた。額に三つ並んだほくろを持つ者など、そう多くはいない。

「手配した賊の人相について回状があったはず。額に三つのほくろを持つ、髭が濃い男と……」
「海賊として名高い門継が、なにゆえここに」

 脳裏に囚人過状を思い浮かべるまでもなかった。能原門継よしはらのかどつぐ。悪名高い賊であるにもかかわらず、一度として捕縛されたことはない。ゆえに、獄舎から逃亡しそこねてここで寝込んでいるわけでもないのは明白だった。

 能原門継は備前の豪族で六位の位階を持つ貴族でもある。備前国と都を堂々と行き来する一方で、海賊団を率いて瀬戸内海を荒らしている。
 当然、被害を記した訴状は複数、検非違使庁でもかなり以前から受けている。

 これまで、それほどの大物が捕縛されていなかったのは理由がある。
 検非違使庁が追捕使ついぶしを派遣するまで、手続きと時間を要した。安主あんじゅ(事務方)が訴人の口述を文書にしたため、府生ふしょうさかんに差し出されたあと、じょうと明法家(法律家)らによって協議される。「追捕使が必要」と判断されれば、その訴状はさらに上へ送られてすけの文箱に入り、多くの訴状と共に別当が廟堂で朝議にかけるのだった。そこで追捕使の派遣が決定され、誰かが任命され、賊の討伐のために動く。そういった手続きには短くとも五日はかかる。

 事務手続き以前にも、複雑な背景があった。

 もともと都以外の地方監察のために臨時に派遣される役人に「押領使おうりょうし」がある。これは東国を中心としていた。

 この押領使が常置されていない諸国に盗賊が逃げ込んだ場合、捕縛を目的として派遣されるのが「追捕使」である。

 押領使が常置されていない国の臨時軍官として、その国の豪族が「追捕使」を世襲するようになっているが、その豪族自体が海賊団あるいは盗賊団として羽振りを利かせていることも珍しくない。備前国の能原門継がその一例だった。

 おまけにそういった豪族たちは、都では摂関家のような「権門の家」に護衛の武士や家司けいし(執事)として仕えている場合もあり、いわゆる「都の武士」として存在している。

 彼らが法を犯した場合、主筋である権門の家に逃げ込めば、検非違使が追捕の手を伸ばしても、治外法権で捕縛はできないのだ。逆に、かれらの主が従者を罰するために検非違使別当に依頼して、従者を検非違使庁の獄舎に投じることもある。

 刑罰権が複数存在する都では、廟堂から「海賊を追捕せよ」と拝命を受けても、押領使たる豪族は身内をかばって代わりの者の首を差し出すことも多い。治安維持の正当な仕事をしないのである。

 しわ寄せは自然、検非違使庁にかかってきた。都から地方へ逃亡した盗賊の追捕だけでなく、地方行政の監察などで検非違使が「追捕使」として派遣される昨今であった。

 船荷を奪い、人を拉致して他国へ売り飛ばし、あるいはたわむれに殺害し、船を沈めてきた能原門継よしはらのかどつぐが眠りこけている。

(目の前に、極悪人がいる)
 大物を捕縛できる高揚感が仁木緒の背筋に走る。その思いは紀成房も同じらしく、瞳をランと輝かせている。
「どうする、このまま獄へ入れておくか」
「未決囚に足枷をつける儀式のため、獄舎では監視の人手が足りません」

「おい、そろそろ列を移動させよ。……荒彦はどこじゃ」
 石川彦虫が近づいて来た。よほど荒彦に執心しているのか、整列している囚人たちに目を走らせて「荒彦はいずこじゃ」と眉をひそめている。
 もしかしたら前日に泥を投げつけられたことを根に持って、足枷をつけられる運命をあざ笑いに来たのかもしれない。

「あ、これは石川どの。実は能原門継が」
「荒彦がおらぬではないか」
「え?」
 石川彦虫の詰問に、紀成房と仁木緒はあわてて囚人たちの頭数を数えた。

 一人足りなかった。

「……い、いない。ばかな、ついさっきまで……」
 言いかけて口をつぐむ。愕然とした。

 舞姫の袖布に隠れていた人物。背丈をごまかすために身をかがめていたにちがいなく、笛をちらりと見せたのは、笛吹童子と思い込ませるためだったのだ。

「よもや、ここで脱獄を許したとは……」

 あってはならぬことだった。血の気が引いた仁木緒の様子に、紀成房も石川彦虫も半身を強張らせた。

 列から目を離したのは、舞姫がいたせいだ。

 あの舞踏は魅惑に満ちていた。風を踏むかのようなあの足も、袖布を操るあの手も、観衆を魅了してやまなかった。魂を奪われていたのだ。

 舞姫はじりじりと未決囚の列に接近し、風で流れたように見せかけて、たっぷりとした袖布で列をおおった。

 そしてあの袖布から突き出された笛。

 袖布が流れたときに笛吹き童子は群衆にまぎれて先回りし、布の中に身をひそめたのではない。囚人の列の中にいた人物が、袖布の中に入り込んでいたのだろう。

 袖布から笛を突き出した人物こそ、荒彦ではなかったか?

 袖布を押しのけて検めていれば、そこに身をかがめた荒彦を見つけたことだろう。今更悔いても遅いのだ。

 仁木緒は群衆をかきわけ、舞姫と荒彦、そして笛を奏でていた童子の姿を探した。

 烏帽子をかぶっている頭や笠をかぶっている僧、餅を売る者や胸に包みを抱えている女もいた。人々の肩と肩の間に割り込み、腕を入れて舞姫の姿を求めて視線を走らせる。
 群衆をかきわけて紀成房が追いついて来た。ぼうぜんと佇立している仁木緒の肩をつかむ。
「おい、儀式が始まるぞ。いかがする」
「く、このおれが脱獄を許すなど……。この期におよんで……」
「一人獄囚がおらぬのなら、一人足せばよいではないか」
 紀成房が耳元に声をひそめた。
「枯れ井戸のそばに、ちょうど極悪人が眠っている」

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