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俵万智の『サラダ記念日』を読んだ。

俵万智の『サラダ記念日』を読んだ。

短歌は、わたしにとって少し遠くて大人なものだと思っていた。
尊敬する恩師が、読むといいよ。と勧めてくれなければ、本屋で手に取ることもなかっただろう。

初版は、1989年。今から31年前だ。

31年前の24歳の女の子の視点は、2020年の女の子と全然変わらないと思った。
(これを書いている今、私は25歳だが)

『サラダ記念日』の魅力は、
短歌を読んでいるというより、
写真を見ているような感覚になれることだと思う。

短歌ならではの言い回しが随所にあるけれど、
現代文で分かりやすい。
意外にも小説より明快で、
写真よりも自由だと思った。

スマホのアルバムの奥に住むInstagramには絶対上げられない写真。
「ああ、あのときのことね」
綺麗に撮った写真より、不意に撮った一瞬の方が愛おしいものだと思うのではないだろうか。

俵万智さんの短歌は、どれもそんな風に情景が浮かんでくる。恥ずかしい気持ちや、諦めの気持ちや、香りまで覚えるよ、等の共感をもって。

わたしも、そんな一瞬を切り取りたい。

ここに、わたしがとびきり好きな歌を抜粋して終わります。

地下鉄の出口に立ちて今我を迎える人のなきことふいに

同じ経験が恐らくある。「今」という語に、ギュっとなった。

我のため生ガキの殻あける指うすく滲める血の色よ愛し

君は私の真向かいで、腕を捲り、刃の柄に力を込めて指が白くなっている。私は君の手先をじっと見ている。好きだなあ。

君を待つことなくなりて快晴の土曜も雨の火曜も同じ

言うまでもなく。


#コラム #エッセイ #短歌

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