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今求められるミニマリズム #Netflix

ネットフリックスで見始めた。まだ半分までしか見ていないけど、今の所の感想(フィットボクシングを35分間、週に3-4回やっていて、その最中にネトフリを見ることにしてる)

貧乏な時こそ物を所有してしまう という話

なぜなら、お金がないときはなんでも取っておいたり、他人から物を貰ってしまったりする。必要なものも、不要なものも、選択する余裕がないから。例え欲しいものがあっても、それが高価であれば買うことができず、代替品の安いものを“とりあえず”買ってしまう。
例:アルフレックスのソファは無理だから、とりあえずIKEAでパクリデザインのものを組み立てる。

話者(文脈的にアメリカでミニマリズムを広めた人のよう)は幼い頃シングルマザーの元貧しい生活を強いられており、貧しさに気づくことさえなかったそう。だからこそ、ミニマリズムの思想にある「その場にあるものをいかに活かすか」と言う考え方を貧乏な時代にこそ実践しなかった、と漏らす。

……この話、かなりミニマリズムの持つ矛盾を突いていた。シンプル is ベストは使い回されたセリフで、誰もがおしゃれな生活≒シンプルな生活に憧れる。シンプルというのは、物が少ないと言う意味ではなく、欲しいものだけを選別した状態を指すと思う。

例えば、収集癖があって、部屋中にコスメやら人形やらが溢れているとする。でも、「他の要らないもの」が捨てられて整理整頓されていたら、それはシンプルな思想に基づいたミニマリズムでは?と。

ミニマリストは、個人の研ぎ澄まされた感性に沿った欲しい物を揃え、不要な物を捨てる「資金力」を表し、研ぎ澄まされた感性を磨く「資金力」を無意識に表現している。

ミニマリズムってお金の余裕がないとできないと思う。富裕層のお遊びみたいになってしまうともったいないよね。

思い出は物の中にはない、自分自身の中にある

話者の母が亡くなり、日本でいうところの断捨離を母宅で進める。話者が小学生の頃、学校で書いたプリントが大量に見つかる。「母は小学生の頃の僕との思い出にしがみついていたんだ。」

これは、子育てしている民にはかなり重い言葉ですね。今なら物よりデータに置き換わっている気がしますが、その写真・動画、見返しますか?と言われると……

片付けを通して、何が自分に必要なのかを問うことになる

結果として、人生に何が必要なのか≒どんな人間になりたいのかを考えることになる

ここら辺はこんまりに近いですね。こんまりも、物を手に取った時に「joy ときめき」を感じるか?という話を永遠にするのですが、それは自身の美意識を問い続ける作業に見える。前述した、研ぎ澄まされた感性と同じ。

こんまりで重要なのは、joyを感じる云々の話だけでなく、物を捨てる時にその物に感謝を述べるという行為で、自分自身の物への執着を、感謝というプラスエネルギーにして終わらせる、という儀式がある。この辺りの執着へのクロージングを、ミニマリスト達がいかに言語化するのか、続きを楽しみに見たいと思います。

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