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あの時のわたしへ

思い返すと、不幸だったなと笑ってしまう。
今、笑ってしまえるくらいには幸せになったんだと気が付いた。

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当時のわたしは、何も持っていなかった。
財力も、知識も、地位も名誉も、これといった才能もちっぽけな勇気すらなくて。
ただ、小さな「家族」という箱に閉じ込められていた。

世界には父と、母と、弟が二人。
父が絶対ということと、たとえ皆が泣いていたとしても、わたしは皆の事が大好きで、わたしだけでもうまいことやらないとと思っていたし、わたしはとにかく言うことを聞くということ以外に生きていく術が無かった。

皆で仲良くしようよ、なんて綺麗事を訴えたこともあったけれど、そんなか細い声が届くはずもなく、また皆泣いていた。

外の世界を知ると、あの小さな箱がどれだけ滑稽かを思い知らされたのに、
なんの武器もないわたしは、ただそこに閉じこもるしか無かったのだ。そこでいろんな表情を伺って、黙って見つめるしか無かったのだ。
そうしていつしか皆の泣いている顔が、哀しいを意味するものではないという事に気が付いた。

「悔しい」「なんで自分がこんな目に」「なんであいつが」「憎い」「なんで」「どうして」だという事に気付いて、また私自身もそう変化していることに気が付いてしまった。

『私は不幸だ』
『私が皆を不幸にしたんだ』
なんて思って死にたくなる時もあったっけか。 

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ただ、一つ言えるのは、

こんな滑稽な世界しか知らない私なのに、今生きていけているということだ。

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幸せな事に色んなことを教えてくれたり、寄り添ってくれる人と出逢う事ができた。
最初はすれ違うだけの関係の人が、いつしか大切な人になって、大切に思ってくれていた。

時には自分の身を削ってまで助けてくれる人もいた。
同じように苦しんでるはずなのに、自分のことなんか置いといて、私に愛を注いでくれる人もいた。

たくさんの優しさに触れて、感性に触れて、
対等にぶつかり合うことを教えてくれた。

そうしてそんな人たちと一緒にいたいと私自身、自分で決められるようになった。


もちろん、今もう繋がりの無い人もいるし、
自分を優先して家族を捨てるっていう選択もしてしまったりした。失ったものはたくさんある。


でも、明らかに出逢った人達が、私の道しるべになってくれている。

何度も素敵な出逢いを重ねて、
抜け出すことのできなかった狭い世界から、
自由で意外とものすごく広い世界に道案内をしてもらった。


豊かさってなんだろう。

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理屈で考えると、お金と時間と自由があることだと思う。
でも、こんなヘンテコな生き方をしてきた私はそれ以上に大切なことをしっている。


出逢ってきた人、関わった人に対して
尊敬できることや、感謝できること。
恩返しをしたい!!と心から思えることなんだと思う。

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きっと私にとって、誰かに対しての自分の感情が無いと、
どれだけお金や時間や自由があったとしても、
ひとりで泣く夜を乗り越えられないと思うから。


今の私は、以前に比べると我儘になった。
夢ができて、自我が芽生えて、欲が生まれて。

良い人に囲まれて仕事をしていても満足がいかないようになったし、
身近な人に対して、もっとこうあってほしいと思うようにもなった。

久しぶりに会っても、昨日会ったように笑い合える親友もいるし、
一生添い遂げたい人にも出逢えた。

色んな欲を抱えながら、それでもやっぱり皆を幸せにしたいという思いも強くなった。


どうやらこんな幸せも我儘もあって良いらしい。

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あの時の不幸な少女へ。今の私は結構豊かだよ。
ちょっとくらいサボってもいいし、
ちょっとくらいズルしてもいいよ。

時間が経っても、自分のことを好きになるのは難しいけど、

色んな人に目一杯愛してもらえるから、
せめてちょっとくらい褒めてあげなね。


またたまに帰ってくるから、
その時は頭を撫でてあげるね。

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